09/09/16 12:01:54
釈迦在世時の説法は、その当時において文字化されていないっすよね。
ところが、その肝心なる法華経のお釈迦は、経典など存在しない時代にも
関わらず、自説法で「経典」や「法華経」の語句がありやんす。
寿量品では
作如是説。諸善男子。如来所演”経典”。皆為度脱衆生。
自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇
分別功徳品でも
聞我説寿命 是則能信受 如是諸人等 頂受此”経典”
願我於未来 長寿度衆生
受持読誦。是”経典”者。為已起塔。造立僧坊。供養衆僧。
種種因縁。随義解説。此”法華経”。復能清浄持戒。
お釈迦が自らの説法を”経典 法華経”と言うのだから、すでに経があったか、
作者がいて執筆していたかのどちらか、文字化されたお経がない時期の
釈迦の言葉ではないっすね。時代的整合ゼロで矛盾してるから法華の自爆でしょ。