09/07/22 08:21:34
>>798
大乗経典がジャータカ集からはじまってるということはいいよな?
法華経なんて典型的すぎるジャータカ集だ
これらジャータカ説話は、民間の間で寄進された仏塔などに描かれ説法されてきた
ありがたい昔話のような位置付けのものだ。
これら昔話の成立に仏教思想が関与しないと考えることはできないです。
また、部派の経典には結集において苦行者として知られるマハーカッサパ派が中心となったことが記され
シャカ族系の弟子はみな貶められていることはよく知られています。
経典にはまた対立する宗派があることが見え隠れし、消して仏教は1つでなかったことが分かります。
何百年ものちの玄奘や法顕がデーヴァダッタ教団が現存していたと記録しているように
部派の仏教(=国教となった派閥)が唯一仏教という考えは誤りで、依然として各種仏教の流派が存在したと考えられます。
部派経典の結集の様子を見ても、マハーカッサパの仏教観と違う見解を
ブッダから聞いたと述べる僧侶は断罪されていますし
そもそも高弟はみな大規模に教団を率いていたようですが、結集に参加したのは
ごく一部でしかないわけですよ。
部派経典を初期仏教と思い込むのは危険ですし、
それ以外の部派と対立した勢力の教えに見るべきものがないと考えるのは間違いでしょう。
法華経などは昔話的な民間のジャータカ的なものではありますが、
そこに描かれた徹底的な慈悲と平等性は、部派が捨ててしまったものを残しているとも考えられるわけです。
部派の経典ですら古層ではブッダは慈悲と徹底的な平等性を説いた社会的な存在なのですから。