08/05/23 18:04:21
>>682
阿弥陀仏の阿弥陀はサンスクリット語でアミターバ、アミターユス(無量光、無量寿)
計り知れない空間と時間の意味
つまり阿弥陀仏はこの世界の理を顕しているんです。
世界の理を擬人化したものが阿弥陀仏です。これは大日如来もそうだし、日蓮系の宗派では久遠の釈迦の事でもあります。
南無阿弥陀仏と称える行為は、この世界をありのママに受け入れて称えますと言う意味では無いのですか?
サンスクリット語で読むとそう読めます。
鎌倉時代の農民の人は、文字を読んだり学問に没頭する人は少なかったでしょうから
簡単に理解し易く
南無阿弥陀仏と称えれば成仏出来ますよと、そう言う風に説いてまわったのでしょうね。
そして
この世は最悪死んだら天国だと言う教えは違います。
これはどの宗派でも起こりうる悲しい曲解ですね。
う~ん、法然上人の選択念仏集を読んだ事があるのですが
死後に期待して必死に称えようと言う事は書かれていませんでした。
そういえば
日蓮宗にもありましたね。死のう団とか言う一派が。
そもそも、西法浄土と言うのは比喩です。
インドでは西の方角は死の世界と言う言い伝えがあります。
ま
宗派の教えに固執して雁字搦めになるのも変な話です。
エゴの肥大した人間が念仏百万回唱えても題目百万回唱えてもマントラ百万回唱えても
成仏など出来るとは思えません。
けれど常に他人の事を思いやって身の丈にあった生活をして世界に感謝しながら生きている人は
何も唱えなくても婆さんになる頃には成仏出来ると思います。