08/02/28 11:36:10
比叡山が寄せ鍋みたいな「なんでも教」に何故なったのか?
このスレのテーマじゃないけれど、考えてみるのは面白いかもね。
最澄は、国費留学して、いわば「法華至上主義」を中心に学んだ。
密教は、いずれにしても当時の「朝廷」が求めていたものだから、
これは避けて通れない。空海の弟子にもなったが、中途半端に終わってしまった。
最澄の「悲願」であった、大乗戒壇の設立は叶った。
これは、比叡山の存在意義を高めた。
密教は、その後の弟子たちによって、一応独自のものを完成させた。
ま、ここまでは、皆さんも知ってるとおり。
けど、止観(禅)や常行三昧(念仏)を持ち込んで、修行させた
のは何故?本当に日本仏教に必要だったのか?
この辺からだね。あっしは浅学だからわかんねえの。
それでさ、融通念仏宗みたいに、法華経を用いながら、念仏をし、
変わった本尊を拝む一派が、平安期に既に出ている事も注目だよ。
マイナーな宗派のことは、とかく話題にならないよね。