07/12/30 04:29:35
>>80
それなら人間が悪いと決め付けてみても現実に起きている障碍の解決には
ならないですよ。
はっきり言って、人間が悪いとも言い切れないのです。なぜなら人間には
彼らの意思を十分に感じとることが出来ないからです。もし眷族や神の意思
表示をそのまま理解出来たなら此れほどの不幸や行き違いは起きないでしょう。
それに人間の寿命は精々長くても百年にも満たない。しかし彼らは其れとは
比較に成らないほどの歳月を生きる。信仰深い人が祀った稲荷社を何代にも
渡って同じように祀り続けられない事も出来るのです。
そして本来なら人間に利益を為すべき使命を持って祀られたにも拘らず障碍
を成すと言う事は、その時点で外道に落ちた存在です。確かに人間は欲得ずく
で祀り、勝手と言えば勝手ですが、そう言う未熟な存在こそが人間でもあります。
そして眷族狐は所詮四足畜生ですから、時に妬みや恨みや嫉妬のような想いを
勝手に持って、人間に障碍をなすことも珍しくありません。
稲荷狐の問題解決は、外道に落ちた狐を然る存在に祀り直すしかありません。
大きな稲荷社に身を寄せて貰うか、其れを拒むならその地で神寄せを行い
その神威を仰いで本来の眷族狐に回帰させて、改めて祀り続けるしかないのです。
稲荷を祀るに際し、これらの問題点を説けない神官や僧侶にも責任がありますし、
問題解決の手段を持たない神官や僧侶にも問題があります。ですからその点で
は人間が悪いとも言えるでしょうね。