08/03/08 15:42:05
ここのみんなは懼蕫ォnya(空)の定義をもう1度『中論』あたりで確認しなおしたほうがいいんじゃないの?
大体次のように定義されてますよ。
1. あらゆるモノ・コトは縁起によってのみ成り立っている。
2. そのため,あらゆるモノ・コトにsvabh懼。va(自性)は存在しない。
3. それゆえ,あらゆるモノ・コトのsvabh懼。vaは懼蕫ォnyaである。
ってね。
何も「あらゆるモノ・コトが空である」なんて言ってなくて,
「あらゆるモノ・コトは縁起によって成り立っているため,単独では存在しえないあらゆるモノ・コトの自性は,いくら探ったところで見つからない」。
そのため,「あらゆるモノ・コトの『自性』は空である」と言っているだけ。
仏教的に何か目新しい思想というわけではなく,縁起説から導き出したもの。
龍樹はこれを使って「あらゆるモノ・コトは有である」と主張したsarv懼。stiv懼。din(説一切有部)の連中やlok懼。yata(インドの実在論者)たちの説を論破しまくっていっただけ。
ようするに論争の道具として生み出された概念。
基本的に論争で負けることがない概念なので長く重要視されて残ってはいるが,その本は縁起説。
もし私が「空とは何ですか」と問われれば
「空とは縁起説を先鋭化させ論争の道具として使った概念」と答える。