07/10/19 20:55:45
>>973
人格と法力は別物で、法力とはいかに仏様に通じる念の力言い換えると
テレパシーの能力を高めているかということになります。
それは、修行の量にある程度比例します。
本山のシステムで僧侶になっただけならスタートラインに立ったということです。
修行とは、仏様の波動に自分の波動を合わせ高める訓練です。
そこで真言宗でよく言われる手法は、入我我入をすることです。
入我我入とは、仏と一体になったと強く思う訓練です。
霊供用については、それ用のアイテムが必要です。
何事でも、道具が悪くては作業効率は上がりません。
その中心のアイテムはお経ですが、成仏を確約しているお経が般若理趣経
といいます。
このお経の末尾の方に、このお経を唱える者は仏様の境地になると言う意味
の事が書かれています。
経典で成仏について確約しているのは、このお経だけと思います。
(全ての経典を読んでいないので、思いますと表現)
その方がどうかと言う事は、私には分りません。