08/06/17 13:24:46
正木組は福井県敦賀市に本拠を置く山口組系暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の2次団体。
歴史
1989年、五代目山口組舎弟・中谷利明(中谷組組長)が引退し、中谷組も解散した際、正木組組長の正木年男が五代目山口組直参に昇格した。六代目体制では2006年11月に若頭補佐に昇格した。
歴代組長
初代 - 正木年男
最高幹部
組長 - 正木年男(六代目山口組若頭補佐・中部ブロック長)
若頭 - 大城(正竜会会長)
他不明
258:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/17 14:45:56
やっぱり御詠歌は花園流。
マネマネの亜流はだれがつくったの?
259:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/18 12:28:52
・・・・・臨済宗相國寺派潮音院
260:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/18 13:52:53
一、「永遠不変の真理と一貫性があること」。教祖や教団のご都合主義ではいけない。
二、「宗教にも普遍妥当性はある」。だから世の中の良識に反するものは論外である。
三、「神は神殿をつくらない」。神殿などをつくることを目的とする宗教は堕落する。
四、「罰があたるなどと恐怖心に訴えない」。安らぎをあたえるのが宗教である。
五、「正しい宗教は世襲化しない」。世襲は教団の財産を子孫に譲ることで、真の宗教の道を踏み外すもとである。
六、「教祖を神格化しない」。教祖を神に仕立てることは、おごりと増上慢の結果である。
七、「言うこととやることが一致している」。欲を捨てることを説きながら、教祖や幹部が贅沢しているのはおかしい。
八、「現世利益だけ説く宗教は正しくない」。宗教が、お金儲けや商売繁盛、病気直しなどの欲に絡んだことばかり言うのはおかしい。そうした結果、欲にまみれた宗教ができあがる。
九、「正しい宗教は盲信を強要しない」。信仰に疑問は付き物で、そこからさらに信が深まる。疑問に答えられない宗教は本物ではない。
一〇、「正しい宗教は、金で救われるとは言わない」。人の弱みにつけ込んで大金を強要するのは、間違いなく危険な宗教である。
一一、「正しい宗教は、会員を増やせと強要しない」。信者獲得は強要するべきことではない。
一二、「領収書を出さない教団は危ない」。問題のある教団は、領収書を出すことを警戒している。
一三、「正しい宗教は批判を受け入れる」。批判を許さない教団は、極めて危険である。
261:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/18 16:18:40
暴行罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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この項目は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。
暴行罪
法律・条文 刑法208条
保護法益 他人の身体の安全
主体 人
客体 他人の身体
実行行為 人を傷害に至らしめない程度の暴行行為
主観 故意犯
結果 必要
既遂時期 暴行行為を行った時点
量刑 2年以下の懲役、50万円以下の罰金、拘留、科料
未遂・予備 なし
暴行罪(ぼうこうざい)は、刑法208条に規定されている罪。刑法第27章「傷害の罪」の中に規定が置かれ、広義の傷害罪の一種である。
暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときに暴行罪となる。法定刑は、2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料。
特別法による加重類型として、暴力行為等処罰ニ関スル法律の集団的暴行罪(1条)・常習的暴行罪(1条の3)・集団的暴行請託罪(3条)、決闘罪ニ関スル件の決闘罪、火炎びんの使用等の処罰に関する法律の火炎びん使用罪などがあり、単なる暴行罪よりも重く処罰される。
262:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/20 14:16:09
< 「 立正佼成会 」 と は ?>
「りっしょうこうせいかい」は、
霊友会の会員だった庭野日敬(にわのにっきょう)さんと長沼妙佼(ながぬまみょうこう)さんが
同会から離脱して創立した 新興宗教です。
母体の霊友会そのものは 現世利益を謳い「コカイン事件」など不祥事も多い新興宗教ですが
ここで奉られる「小谷恩師」という方も 何故か真夏に布団を被りお経を唱えるという
意味不明な修行をされた方であり そこに入会されたのが 上記二方です。
そして昭和17年、東京杉並に新本部道場を作り、庭野の「姓名判断や易学」それと長沼の「霊感」による病気治し
を売り物にして布教を展開されたようですが
これも 仏教を名乗るならば不可解であり、 仏の名を借りた新興宗教ということでしょうか。
皆様もご存知のように、本来仏教には、占いや病気治しや供養などは、存在しないのです。
霊友会系: には他にも 思親会、佛所護念会教団、妙智会教団、妙道会教団、大慧会教団、正義会教団、希心会などがあるようです。
先祖崇拝の落とし穴: URLリンク(ww4.tiki.ne.jp)
を参照してみてください。 あなたがこれらの組織に毒されているかどうかが分かります。
263:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/20 15:18:46
ごえいかはやっぱり、花園流だな。ぱくっただけで粒粗なら、早いもの勝ち脱痰だな!孕苦櫓!まねまね!やっぱりあれだね。
264:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/20 15:24:14
形骸化した“葬式仏教”
日本における仏教は、江戸時代の檀家制度によって寺院が民衆を統治・支配する権力機構に組み込まれたことにより、布教を忘れ、民衆救済という仏教本来の精神が薄れ、時代を経るにしたがい、形骸化し、権威化してしまいました。
葬式など儀礼中心の、いわゆる葬式仏教となってしまったのです。
臨済宗はその典型で、形骸化・権威化の旧悪の体質そのままです。
葬儀など、遺族の悲しみにつけいって多額の供養をせびるなど、供養金目当ての“商売”に狂奔する堕落し切った姿は、まさに“食法餓鬼”です。
ところで檀家制度とは、人々を強制的に、いずれかの寺院の檀家として所属させた制度です。
これにより当時の幕府は、人々の統治を容易にした訳です。寺院は檀家制度によって、檀家の葬儀や年忌法要などの儀礼で得られる供養を寺院経営の基盤とさせていったのです。
そうしたなかで、「塔婆」や「位牌」「戒名」などが、その意義や形を変えて寺院経営の手段として取り入れられていったのです。
また檀家制度のもとでは、僧侶が行うのは葬儀・法要などの儀礼が中心で、檀家の信仰心を深めようとする努力は、ほとんどなされなかったのです。
このような歴史のなかで形成されたのが、僧侶の権威を強調し、僧俗を差別する在り方です。
愚かにも臨済宗では“坊主が上で、在家は下”などという珍妙な僧俗差別論にしがみつき、まさに封建時代の遺物と化しています。
大聖人は「僧侶も、尼も、在家の男性・女性の信仰者も、法華経の一句でも人に語っていく人は仏の使いである」(御書1448ページ、趣意)と仰せになり、僧侶も、在家の信仰者も皆平等であることを強調されています。
“坊主”の権威を振りかざす臨済宗は、大聖人の仏法とはまったくかけ離れた邪義を説いているのです。
「大聖人直結」「御書根本」の創価学会こそ、日蓮大聖人、日興上人の教えと信仰を正しく受け継ぐ唯一の教団であり、大聖人の仏法を現代の言葉で語り、現代に生き生きと脈動させているのです。
265:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/01 16:42:40
「立正佼成会の美しい罠」
「立正佼成会組織」とは、現在では 「破壊的立正佼成会」として認識されている。
(それは必ずしも 宗教組織という形態を採らないが)
神道や仏教やキリスト教などの 「伝統宗教」の権威を利用し、それを意図的に 湾曲させたものが立正佼成会教義である。
よってそれは従来の教えよりも 「魅力的」であり、同時に 「効果が大きい」と謳われる。
反面その副作用も指摘され、 依存症や強迫観念に悩む者が 多く発生している。
立正佼成会は マルチ商法や詐欺の手口を集積させて、結果 人の脳を破壊し、組織に貢献させる ロボットにしてしまう。
その手法を称して 「立正佼成会 ・マインドコントロール」という。
その活動は以下の 三つの実践に集約される。
A : 集金 B : 新たなメンバーの勧誘 C : グループの維持
そして 「それらを半端なく全うせねば、家庭・社会・国家・世界の平和境は建設できない」などと 脅す。
「立正佼成会 ・マインドコントロール」を仕掛けられたメンバーにとって、組織外で生命を維持することは ほとんど不可能に近い。
その醜悪さは、つまり 「聖なる神仏を装い、その実中身は詐欺の集積である」ところにある。
それに比べれば 一般の営利組織が持つ 詐欺性は、
「立正佼成会 ・マインドコントロール」よりもはるかに清らかだと言えるだろう。
立正佼成会は 一般社会や政界など あらゆるところにその菌糸を食い込ませ その病巣とし、
また 法律も熟知しているので 追い詰めることは 困難を極める。 その実態を晒し 啓蒙し続けることこそが 社会健全化の一歩と成り得るだろう。
「ご利益や利他や悟り」という 「立正佼成会の美しい罠」に気を付けよう。立正佼成会とは、我々自身の心の、闇と欲望が生んだ、
「汚物」なのである。
266:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/01 19:48:15
歩さ員宣下したのか
267:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/04 14:35:28
○ 前堂転位式
6月1日、4教区潮音院住職鈴木元拙師徒弟、鈴木元浩師の前堂転位式が挙行された。師は天龍寺僧堂で修行され、現在は副住職として布教活動や寺門護持に就かれ、今後の活躍に期待が集まっている。
拝塔香語は次の如し
瑞色増光祖苑辺 梵音清散万年巓
即今拈出虚空骨 一句酬恩奉塔前
268:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/04 16:06:54
特定非営利活動法人一滴の里
団体名称 特定非営利活動法人一滴の里
所轄庁 福井県
法人認証年月日 2002年02月13日
都道府県 福井県
主たる事務所 大飯郡おおい町岡田33字小近谷2の1
従たる事務所
代表者名 森口精治
目的 この法人は、一滴文庫を拠点とし、地域住民と他の不特定多数の市民および団体に対し、行政及び他の文化施設との連携を深めながら、地域の文化・芸術の教育普及、調査研究、さらに情報化、交流促進、文庫支援事業を行い、よりよい風土の形成に寄与することを目的とする。
269:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/17 16:37:39
私は以前、僧堂というところにいた。
そこでは、相撲部屋と同じような暴行事件が起きていた。
仏につかえる身でありながら、殴る蹴るは日常茶飯事。
血を吐くもの、警策(坐禅で用いる棒)や木刀、あるいは鉄パイプで殴る。
私も傷跡を残している。
入門から五分の一に減る僧侶。
残る者は、凶悪犯のような顔となっている。
逃げ出す者は当然のこと居り、暴力によって身体障害者となった仲間も居た。
家族からの警察騒ぎになることもあったが、暫くすると何事も無かったかのようにことが収まっている。
長年の関係から、警察とも結託しているのだ。
これは修業世代の人間だけが起こすことではない。
いわゆる、位の高いとされる世代に渡って、堂内差別、脅迫、金銭の窃盗や資金の使い込みもが起きている。
僧侶の世界は、畜生、奴隷、人間、仏様の段階がある、という。
また、宗として決めている僧侶の“格”というものも、3等、2等、1等、権大…
というように、上下の差をつくっている。
身分の低い僧侶は、高い僧侶に対して顔を見ることも許されない。
仏門の世界に対して、一般世界を“シャバ”と呼ぶ。
その団体生活は、まるで極道の世界。
弱肉強食、全体責任、抑圧された世界だけに、弱いところにしわ寄せが行き、強い者は何ら痛むことはない。
僧堂歴の無い僧侶が中には居るのだが、その人のほうがより人間らしい。
また、僧堂のある場所によってもその閉鎖性は違う。
山間部にある僧堂は、市街地にある僧堂とは違い、相手を認めることができない。
井戸の中の蛙状態となるのである。
私は資格取得までの期間、その宗派で2番目の位とされる人の内弟子であった。
国内僧侶のVIPといわれる人たちに接したり、あらゆる宗派の人たちとも会った。
また、帰属してからも、様々な宗教とその人たちと接して、実状を垣間見た。
やはりその中で最も閉鎖的だったのは、仏教の禅宗系であると感じた。
私は一般社会の人たちのほうがよほど自然な信仰をしていると感じており、以来僧侶が信用できないでいるのである。
270:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/22 15:02:16
諸宗教対話・協力
「仏教では、この世のすべての存在は網の目のようにつながり合っていて、それぞれがかけがえのないいのちの役割を担っていると見ます。
こうした仏教の見方に立てば、他の宗教を排斥するどころか、異なる宗教もそれぞれに人類の平和と幸福を願っているのですから、その共通の目標に向かって協力し合えるのです。
現在、宗教協力は世界的な潮流となっていますが、それは宗教の本来あるべき姿に帰り始めたあかしでもあると思います。
各宗教が本当に協力し合う時代が到来したと言えるでしょう。
私もまた、開祖さまの念願とされてきた宗教協力と世界平和への道を継承してまいりたいと願うものであります」。
庭野日鑛会長は、このように、庭野日敬開祖が半生をかけてその推進に尽力した宗教協力の今日的な重要性を述べています。
「世界の人々と手をつなぎあい、平和な世界をつくる(平和世界の建設)」という願いから、立正佼成会は、宗教協力を基盤とした平和活動を使命と考えています。
そのため、宗教間の壁を超えた交流を積極的に行っています。
その中心となるのがWCRP(世界宗教者平和会議)です。
1970年、京都で開かれた第1回WCRPでは主要宗教の指導者約300人が一堂に会し、歴史的な出会いを果たしました。
以来、WCRPは4年から5年に一度開かれ、諸宗教間の対話と協力を推進する世界最大規模の国際的宗教組織に発展しました。
また、ACRP(アジア宗教者平和会議)の設立、IARF(国際自由宗教連盟)への参加、「アッシジ平和祈願の集い」の精神を受け継いだ「比叡山宗教サミット」への協力など、立正佼成会は国際的な宗教協力の輪を精力的に広げてきました。
一方、国内においても、日宗連(日本宗教連盟)、新宗連(新日本宗教団体連合会)と連携し、アジア地域を中心とした植林や農業開発、国内の環境問題への取り組みなど草の根の運動を活発に行ってきています。
毎年10月に行われる「世界平和祈りの週間」には、立正佼成会の会員たちも参加し、世界の諸宗教者と時を同じくして世界平和を祈念しています。
世界の諸問題を自分自身の問題として受けとめ、問題解決に尽力していくことが、私たちにとってはもっとも大切なことなのです。
271:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/23 08:34:18
URLリンク(www.chugainippoh.co.jp)
在錫証明書発行の基準 栂理事長が検討を提案2008年4月15日臨黄合議所
(理事長=栂正隆天龍寺派宗務総長)の理事会が十一日、大本山天龍寺
で開催された。平成十九年度決算などを承認。
栂理事長から、僧堂によってまちまちな雲水の在錫証明書発行の基準
について、何らかの調整の可能性を今後、合議所と道場側の間で検討
したいとの提案が行なわれた。
臨済各派では雲水が専門道場で修行した在錫期間は、僧堂歴として
法階昇進の基礎資格となる。法階稟承の具体的な規定は派によって
異なるが、在錫証明は派内僧堂でも他派僧堂でも等しく有効で、
例えば妙心寺派の僧籍を持つ場合、同派の僧堂で修行し三年の
在錫証明書を与えられた者と南禅寺派の僧堂で同期間の在錫証明
を受けた者を比較しても宗制上の有利、不利は存在しない。
ただし、在錫証明書の発行基準については各僧堂の"家風"に任され、
暫暇日数の扱い方その他で差異が生じているのは事実。この問題は、
これまでにも臨黄合議所理事会で指摘され、調整の必要が論じられた
ことがある。
妙心寺派で師家会議や専門道場補佐員会議が開かれ、雲水の健康管理
等が論じられるなど、宗門の"聖域"である僧堂の問題についても
、近年、必要な議論は避けないという傾向が見られる。
在錫証明に関しては法階稟承という宗門制度の観点から調整の必要が
指摘されているわけだが、この場合もあくまで聖域としての各僧堂の
家風は尊重する、ということが前提。従って、宗務行政のサイドから
一方的に基準を提示するようなことは考えにくく、僧堂師家との間で
何らかの形(妙心寺派の師家会議のような)で意見交換のパイプを設
ける可能性を探ることが課題になるものとみられる。
272:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/25 17:01:44
五輪会新緑の 坐 禅 会
かつて宮本武蔵は「五輪書」を著し、剣術の視点から人生の道理を禅に基づいて説きました。
今、わたしたち「五輪会」は、その宮本武蔵の精神に学び、坐禅会を開催したいと考えています。坐禅を通じて自らの心の成長や、他者との出会い、そして心の交流を深め合うような会にしていきたいと思っています。
幸いにも今は亡き水上勉先生が創設された「若州一滴文庫」には禅堂としても設計された「くるま椅子劇場」があります。この空間で竹林を背景として坐禅を体験することは、皆さんにとってかけがえのない経験となるでしょう。
是非この機会に『禅』に触れてみてはいかがでしょうか。
自宅で座る ←「臨済禅・黄檗禅公式サイト」をご覧ください。
きりりと気持ちを引き締めてみましょう。
日 時
第40・41回目 8月23日(土) 24 日(日)
午前8時から約2時間
会 場 若州一滴文庫
服 装 体を締めつけない服装が適しています。
* 坐禅後にミニ講話を行っています。
* 坐禅後は茶礼(サレイ・お茶を頂いて共にくつろぐこと)をします。
* 経験、未経験は問いません。初めての方は基本からご指導します。ご安心下さい。
主催 : 五輪会
共催 : NPO一滴の里 潮音院
協賛 : チャンネル0
273:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/26 22:32:50
五百羅漢寺の末永恭輔和尚はチンコを丸出しして
女性の顔や頭にくっつけるチョンマゲをやっても
捕まらないそうだ。
五百羅漢寺
スレリンク(kyoto板:1-3番)
274:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/26 22:55:56
そいつどんなちんこしてんねん!
275:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/27 00:35:15
>>やるな
276:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/28 06:23:05
暴走犯盗についておしえてください。まんげ。
277:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/30 16:08:00
疑うことのデメリットもあります。
まず、疑うことでイヤな気もちになります。
人を疑う自分に嫌悪感をもってしまう人もいるでしょう。
疑うことで関係が良くなるということはないのでないでしょうか。
強い疑念は自分の言動に何かしら現れ、つきあいに消極的になったり、対応がぎくしゃくしたりすることもあるでしょう。
そういうものが相手にも伝わり、関係が悪くなる可能性のほうが高いでしょう。
露骨な表現をしてしまえば、相手も疑われていることを感じてしまいます。
疑われた相手がどういう気もちになるかは、自分が疑われた場合を考えてみればわかると思います。
人を疑っている自分に気づいた時には、「これ以上疑っていいことある?」と自問してみるといいと思います。
「これ以上疑ってもいいことない」と考えることができれば、疑うことをストップできるでしょう。
自分が相手を疑うことで、その人との関係が悪くなってしまうのは、自分が望むことではないでしょう。
人を疑ってしまった時には、疑うことのデメリットを考えてみてはどうでしょうか。