09/08/10 21:55:55
>>361
現代のイメージだと、布施=お経の代金なんで、わけ分からない発言に見えたでしょうね。
「布施は、慈悲の心をもって、他人に財物を施すことで、六波羅蜜のひとつである。
六波羅蜜とは、菩薩が修めなくてはならない、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の6つの実践徳目のこと。
菩薩は、この六徳目を得て自利利他の大行を究竟し、涅槃の彼岸に到る。」
以上wiki 引用
つまり、ご質問の発言は、
「布施とは、本来「布施を出す人」の修行であって、僧侶はその布施の対象に成っているだけである」
と言いたかったんだと思います。(まあ、大分皮肉が入った発言に見えますが。)
また、布施は対価(感謝など)を期待して行っては意味が無いので、
本来は、お布施に対して僧侶がお礼を言ってはいけないのです。
勿論、布施には様々な種類があって、施す対象は僧侶だけとは限らない事に、ご注意下さい。
例えば、病気に苦しむ人に、心配ないよと微笑むのも、和顔施と言う布施の一つです。
なお、僧侶がお経を読むのも、布施の一種、法施です。
よって、お礼(お布施)を期待してお経を読んだのでは法施ではなくなります。
ご質問の発言とは逆に、「棚経とは、お経を読む、僧侶自身のために、信徒が聞いてあげているものです」ともいえるわけです。
お盆の棚経の場面では、僧侶の布施と、信徒の布施の二つが、何の関係も無く行われているというのが、一番ただしい本来の形なんでしょうね。