07/09/17 21:54:17
>>680
「 私たちが疑問を持っているのは、仏様、成仏、お大師様、そして私たちが死んだら霊体と
して存在するのか、存在するなら供養はどうなのか」
↑
これを見て私はあなたの本当に聞きたいことが理解できたように思います。
私はただ単に真言教学に基づいた教理を書き記したので、誤解が生まれ難解に
なっていったのだと思います。
1つづつ答えていきたいと思います。
「仏様」これは私たち真言僧侶はもちろん如来、菩薩等お寺でお祀りされている仏さまの
事を言います。正式には如来だけが仏なのですが、まぁここの処は飛ばしまして
一般の方の仏さまというと他に亡者も仏さまっていいますよね。
真言僧侶は亡者=仏さまとは言いません。枕経や通夜、葬儀に於いて引導作法を修法し
亡者を大日如来(仏)になれるように印・真言を授けてから仏さまと呼べるようになります。
本当は引導作法は最極秘の教えですので、そう簡単に説明できるものではないのですが、
ここではわかりやすく簡単に説明させていただきます。
「成仏」いわゆる仏さまに成る。大日如来になると言うのは先ほどの引導のところで説明したとおりです。
が一般の方は成仏というと霊が迷うのではなく、霊界に行くというほうが一般的に思われているのでは
ないでしょうか?
ここが私と>>680さんが噛み合わなかったところだと思います。
成仏とは心霊科学協会が言っているような亡者が幽体となり浄化して霊体となって霊界へ進む。
というふうな理解ではなく、真言宗ではお坊さんから印真言を授かって仏の境地に至るというのが
真言教学なんです。だから生きている私たちにしても、亡者にしてもお坊さんから印と真言を授かって
修行(深い境地に至るまで何度も繰り返す)することが必要になります。
一瞬にしてその境地になる人もおられるでしょうが、お大師さんでさえ何度も求聞持法をされたのですから、
私たちも何度も何度も繰り返して、その境地になれるんでしょうね。