真言宗醍醐派について 第陸座 at KYOTO真言宗醍醐派について 第陸座 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト550:名無しさん@京都板じゃないよ 07/09/05 16:30:20 夕飯寺子屋<その2> 明治政府の太政官布告による『神仏分離令』によって 当時の真言寺院が決定的な打撃を受けたとの書き込みを 見て、ランボーはヒントを得て書いたのだろう。 実は、レスの話題がそろそろネタ切れになり始めているに 相違あるまい(笑)。 但し、その内容はとんでもない噴飯ものであって、 真言歴代の先師におかれては、到底申し開きの出来ない 酷い内容でレベルであることは言っておく。 醍醐山の法要次第に『神祇講式』が記されている。これは 真言神道の教義が確立した前後に、記されたもので これが本山法要次第に掲載されていることの意味は 宗祖大師の教えに極めて忠実であろうとする証明と言う べきものだ。 551:名無しさん@京都板じゃないよ 07/09/05 16:31:39 夕飯寺子屋<その3> 私は以前、試みにこれを地元鎮守社の某宮司に 神祇講式をお見せしたことがあった。 目を丸くしておられた姿を鮮明に記憶する。 神社本庁の『神道教義』は、暴論を覚悟で述べるが たかだか140年くらいの歴史しかない。 真言神道は、実にその10倍の年月の風雪に 耐えた歴史を有する。 何故、真言寺院、とりわけ修験寺院が壊滅的打撃を 受けたかの理由は、平田派国学者を中心として 『蕃神(外国という穢れた土地の神々)という『夷』敵を 『攘』ち滅ぼすこと』が、彼ら急進派国学者の思想の 根底にあったからなのだ。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch