07/09/05 06:04:09
早朝寺子屋
神社とのかかわり2
怨霊を鎮魂の目的で、神社を建立しお祀りした神社は多い。
NHK教育テレビにもよく出演されている哲学者の梅原猛さんも、「聖徳太子・菅原道真(学問の天神)
平将門(たいらのまさかど・など類い希なる怨霊で映画帝都大戦で知れ渡る)などを祀る数多くの
怨霊鎮魂の神社がある。」と読売新聞の 地霊鎮魂京都物語という欄で述べられたりしています。
当時 将門の乱 がおきた時、神護寺の不動明王が、怨敵調伏の為に関東に出陣した。
その不動明王が、成田山新勝寺の、本尊不動尊です。
神仏分離令発布から百年以上たった今、神社とは全く拘わり無くなったのに、巷の習慣で神社の
お札をお祀りしたり、初詣でをしたり、お払いをしたり、結婚式をしたりするが、仏教徒は考えなくては
いけない。明治維新の廃仏毀釈をしたとき、伊勢神宮の入り口には、僧侶不浄な者につき立ち入るな!
と看板をたて当時天皇を生き神とした政ごとをし、仏を虐待し打ち壊しにより寺院の数を一割ほどにまで
減らした。また、政策の為に神社を統廃合し、祭神を記紀に合わせる為圧力をかけ神社本来の在り方を
も大きく改悪をした明治政府は大きな過ちを犯した。
明治政府の政策のため寺院は極減し、人々は神社に移り今となっては明治維新以前は仏教徒だった
ことも知らない神徒も多い。
仏教徒として、その神社のお札を祀ることは、二股信仰となり、たいへん好ましくない。
仏教徒の神棚には、無病息災や商売繁盛・福徳円満などを願って、不動明王(お札含)や毘沙門天王
というかたがたをお祀りするべきである。
余談ではあるが、山奥などの辺鄙な所にあった神社には、明治政府の力も及ばず仏教の神がいまだ
祀られており、そこには仏も行けるのである。