真言宗醍醐派について  第陸座 at KYOTO
真言宗醍醐派について  第陸座 - 暇つぶし2ch508:ランボー法師 ◆uIU6J7Th0Y
07/09/04 07:02:02
早朝寺子屋
 神社とのかかわり1
 日本の多くの家庭では、仏壇と神棚の両方祀ってあるが、外国ではそのようなことは無く、
他国の人からは、奇異な目で見られています。
 神社のルーツを辿ることは繁雑になり過ぎるので、大まかに考えてみます。
 古代人にとって、太陽の神など、自然神崇拝は、農業と結び付いていた生活をしていたため、
何よりも必要な信仰だった。この太陽の神の信仰は、将来 天照 として信仰されるのであるが、
記紀(天皇の勅命によって編纂された、公認の歴史書であるが、当時の権力者によって都合よく
書き換えられることは、想像に易い)にあるように、皇室の祖神でもなく女神でもない。
神道が仏教の外、陰陽道や儒教などが影響を及ぼし壱千数百年もの長きにわたって、仏と融合
してきた神仏習合という関係にあった。
 平成三年の事でした。愛染明王という体が赤く手が六本おもちの明王様がおりられて「そなた、
神社の天照という神は誰だか知っているか?」と問われ、答えられないのを見て「あるとき、熱心に
修行している神官に大日如来が、私のことを天照と呼びなさい。と言って降りたのだ。
その時から神社との拘わりができ、他の仏も行き来した。しかし明治維新の時、神仏分離令と
廃仏毀釈により本家本元の寺や仏像が壊され、そこにいれなくなり、全ての仏は寺に戻った。
それ以後全く神社とは拘わりがなくなった。」と教えていただいた。また「私は今から一万四十七年
前に不動明王から誘われ曼荼羅(仏族)に加わった。不動は、カリスマ性に長けてるからなー」と
おっしゃって戻られました。




次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch