07/08/28 06:04:17
次に事故の代表格とも言える交通事故について考えてみよう。全ての交通事故の原因が霊に
よるとは言えないが、かなりの件数であること、しかも大きな事故が多いといえる。
例を挙げるときりがないので、よくある若者の事故例でお話ししよう。
峠の道でスピードを楽しんでいた若者が、ふとした不注意から路外に飛び出し事故死した。
瞬時に即死した若者は死の間際の苦しみも記憶になく、自分が事故死したことも気がついて
いない。回りの景色も今までどおり見えるし、ただおかしいのは自分の車が壊れてその中に
自分と同じような人が横たわっている。変だなあと思いつつも潜在的に死を好まない考えが
あるから、結局死んだと思っていないのである。その場所で遊んでいても、ひとりでは
つまらなくなり、たまたま来たスポーツカーを運転している若者をよびこむこととなる。
呼ばれた若者のハンドルを握っていた手は、突然硬直し自由がきかなくなった。
結果は明瞭である。
再び路外転落という事故が発生する。同じ所で二度三度と同じような事故がおきるのは、
このためである。最初の事故の若者が葬式にも家にも行かずここに居続け(地縛霊)
たからで、この霊を葬式のとききちんと呼んで葬式を受けさせていたら、続けて事故は
起きなかったでしょう。最初の霊をきちんと引導していたなら、スポーツカーの若者は、
死なずに済んだのです。最初の事故者の葬式をした僧侶が、いいかげんな引導供養を
したからで、スポーツカーの若者にとっては、たまったものではない。僧侶となれば、
一般の人はきちんと引導供養してくれていると思っており、事故死した者がそこに
居ないまま、葬式が行われているとは思ってもみず、ましてや、他人までをも、
まきこんでいるとは、知る由もない。葬式は遺族の為のセレモニーで、事故死者の為には、
いっさい効果を上げていない。