09/08/29 16:23:09
>>171
邪馬台国畿内説に立てば邪馬台国以来、そうでなくても初期大和朝廷にとって大神神社は、
宮都所在地である大和国の土地神・山神・産土神として、最高位に崇め奉るべき神社だった。
大物主神は三輪山の山頂では、日神としても祀られていたとの事。
ただ当時の大王家の祖神は高皇産霊尊で、大物主神は少なくとも男系の皇祖神ではなかった。
東に海を臨む伊勢国にあって、日神を祀る地方神社だった伊勢神宮を、
国家最高の皇祖神として位置付け直したのは、壬申の乱で伊勢国も巡った天武天皇だろう。
大伯皇女をきちんと伊勢に遣わして、伊勢斎宮制度を整えたのも天武朝から。
それ以前の斎宮達は大和国内にあって、大神神社か日神に仕えていたものと思われる。