☆  茨城県の神社・仏閣  ☆at KYOTO
☆  茨城県の神社・仏閣  ☆ - 暇つぶし2ch450:名無しさん@京都板じゃないよ
09/12/30 15:31:47
441です。
448さん、他人様に物事を伺っているのですからもう少し言葉を選びましょう



451:名無しさん@京都板じゃないよ
09/12/30 17:12:18
>>443はまずいんじゃないの。
寺社版初の逮捕者?

452:名無しさん@京都板じゃないよ
09/12/30 22:15:42
陰陽神社がよろしいかと

453:名無しさん@京都板じゃないよ
09/12/31 14:21:58
来年おぼえてたら教えてあげるよ^^


454:名無しさん@京都板じゃないよ
09/12/31 21:08:26
>>449
メジャー杉。

風土記の建借間命を祭る大井神社などは式内社で由緒もあり、
マイナーでいいかもな。小さい神社だけど。

455:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/01 00:11:39
あけおめ

456: 【984円】 【だん吉】
10/01/01 22:21:53
境町の出雲大社がいい   出雲大社のミニチュアみたいな神社

457:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/01 22:36:14
神社で選ぶより祀っている御祭神で選ぶのが通ですよ。

それはさておき
何気に茨城の名峰筑波山の筑波山神社などが宜しいんじゃないんでしょうか。

458:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/02 09:33:01
筑波山神社は混むからな~

平将門公を祀る、坂東市の国王神社は?

459:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/08 00:35:24
テスト

460:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/08 00:39:06
>>441です。
やっとアクセス規制が解除されました。

通好みの初詣を伺い多数ご教授いただきましてありがとうございました。
お教え頂いた中から飯富の大井神社へ参拝してまいりました。
偶然にも姉の嫁ぎ先に近いので挨拶参りを兼ねて出かけてきました。
その他の神社も面白そうなので時間を見つけて廻る予定で居ます。


話は変るのですが
>>31の「鹿島神宮」と「大洗磯前神社」の因縁に興味があるのですが
内容をお教えいただけませんか?

当方は「国譲り神話の第三ラウンドは那珂台地で行われた」と推測しております。
大洗を古代語と思われるアイヌ語に照らし合わせてみると
オオワッ(蛙)+ライ(殺し)で蛙殺しとなり
これは諏訪大社の元旦の祭事を表していると考えています。
諏訪から常世の国である常陸の国へ出雲系の神々が逃れ
天孫系の鹿島や吉田、静の神々が出雲の神々を包囲して対峙していたと推測しています。

当方は神社関係は素人なのでこんなことを言うとこの板の住人の方々には無知を笑われるかも知れませんが、
天孫系と出雲系の神社の抗争の伝承をご存知の方はご教授をお願いします。

461:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/08 06:26:47
>>460
神様ごとに、偶然はないので理由があるはず。

「オオ」は多氏に由来すると言う説もあります

462:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/08 21:57:42
いやいや大洗って地名は風土記にもないし、後世付けられたものでしょう。
静の神が出たついでに言うと大甕神社の甕星伝説も江戸の元禄以前には
遡れないし、大きな勢力同士の衝突があったというよりは小さな部族が各個に
滅ぼされていった印象。ヤツクシ・ヤサカシ、ツチグモ・ヤツカハギ、サエキ、ヤトノカミ等としてね。

463:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/08 22:51:58
>>460です。
早々に書き込みいただきましてありがとうございます。
当方は「ヤンサマチ」について調べていて「国譲り神話第三ラウンド」に行き着きました。
大洗のアイヌ語解釈のみでそうゆう結論に達したわけではないのですが、
大洗は本来広域な地名ではなく現在の神磯付近の海岸を指す言葉ですので
風土記に書かれるとは思いません。

464:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/09 21:36:05
>大洗は本来広域な地名ではなく現在の神磯付近の海岸を指す言葉ですので
いやいや風土記には「仏が浜」とかの記載もあるし。

465:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/10 01:07:32
>>460です。
いや~色々とご指摘いただいてうれしい限りです。

たしかに風土記には大洗の記載はありません。
故事類苑のデータベースにも大洗は見つからないのですが、
当方は「国譲り神話第三ラウンド」は西暦700~800年頃だったと予想しています。
常陸風土記の成立は721年ですので、まだこの争いの決着が付いておらず、
風土記に大和朝廷の支配地のみが記載されたのではないかと思います。

出雲や諏訪を鑑みても天孫系の勢力は出雲系の勢力を完全に殲滅することがなく
支配下に組み込ませる姿勢が見て取れます。
大洗磯前神社や酒列磯前神社は850年頃の創設なので、
「国譲り神話第三ラウンド」の決着は此の頃と思われます。

466:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/10 19:42:23
>風土記に大和朝廷の支配地のみが記載されたのではないかと思います。
近辺だと大串貝塚、平津駅、阿多可奈湖などの記述がありますよ。
その上で大洗は登場しないんです。

>当方は「国譲り神話第三ラウンド」は西暦700~800年頃だったと予想しています。
すでに仏教も普及し(大洗薬師菩薩と号していますね)常陸より遥か北の東北遠征も行われている時代に
この付近が国譲りの戦場とは話が飛び過ぎやしませんか?

467:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/10 20:52:52
>>460です。
先に述べた『古事類苑』とは、明治政府が数多の古文書をまとめた百貨辞典です。
URLリンク(ys.nichibun.ac.jp)

細部まで見たわけではありませんが、「地部」を見る限り大洗という地名は
風土記のみならず他の古書にも記載がないようです。
これは大洗は地名ではなく「大洗磯前神社」そのものを意味している可能性があります。

阿多可奈湖が在った頃は海洋への開口部は現在の那珂川河口のほかに、大貫町付近にもあり
大洗磯前神社の建つ丘は小島になっていたといいます。
劣勢の勢力の立て篭もりに最適な地だと思えます。

また仏教遺跡が多く見られるのは主に石岡から水戸付近までで
那珂川以北は極度に少ないことが分かります。
仏教は天孫系勢力が信仰していたものなので、
仏教遺跡の存在はの天孫系が影響する土地を区別するのに役立ちます。

東北遠征についてですが、那珂湊地区周辺には源義家伝説が多数残っています。
その殆どが地元の長者の力を恐れた義家に打ち滅ぼされたという内容ですが、
「十三奉行」という地名をご存知でしょうか?
これは那珂湊付近の十三人の奉行が義家の軍勢を接待しながら、東北の勢力に通じていて
後に此の事実が義家の知るところとなり、全員が処刑されたことに由来します。
西暦1030年頃の東北遠征の際にまだ此の地に東北の勢力への協力者が残っていたことになります。
また、此の地では古くには東北地方を「上」と呼ぶ習慣が残っていました。
現在京都方面を「上方」と称する事と同一だと思われます。
そのほかに地名でもアイヌ語解釈の出来るところもあり
ひたちなか市内の清水町と言うという所は、以前は「輪笠内/わかさない」と言いました。
これをアイヌ語解釈すると「ワッカクナイ」となり「水のみ場」の意味になります。

まだまだ東北地方の勢力との繋がりを伺える資料は此の地に豊富に残っているのです

468:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/10 21:28:37
突っ込みどころが多すぎて疲れるなあ。

>那珂川以北は極度に少ないことが分かります。
大洗はその那珂川の南岸でしょうがw
那珂川を遡った現水戸市の台渡に寺院もあるし。

あなたが言っているのは『続日本紀』の時代だけど、大洗で戦があったという
記述でもあるんですか?東北という敵地ならともかく、そんな小島に律令軍が
攻めていかなかった理由は?東国は防人の供給地だったでしょ。

義家伝説なんて県内全域にあるし。ましてそれらを史実と同列で扱われても困るわ。

>西暦1030年頃の東北遠征の際にまだ此の地に東北の勢力への協力者が残っていたことになります。
それどころか後の時代の佐竹と奥州も協力関係にあるよ。佐竹も出雲勢力なの?


469:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/11 05:21:37
>>460です。
場所は「那珂台地」と初めに断ってありますよ
仏教遺跡のある水戸は吉田神社の勢力地であり
那珂台地には含まれません。
那珂湊に限れば仏教遺跡は全くの未確認で火葬の跡さえ見つかっていないそうです。
仏教伝播以前の甌穴墓なら那珂湊全域で数百確認されています。


那珂台地とは那珂川と久慈川に挟まれた地域です。
延喜式に記載された神社を茨城県の地図に書き加えてみると
県内の広範囲に分布されていることが分かりますが、
県内で一番の平坦な地の那珂台地には酒列磯前神社と静神社しかありません。
そして静神社は那珂川と久慈川が一番接近している地に建っています。
この台地からの出入り口を妨げるように。

大洗は香取や鹿島からの塞という位置とみています。
話しのつかみの為に最初に「蛙殺し」を掲げたため大洗を中心地と受け取られたかもしれませんね。
後に那珂地方の総産土神と祀られた酒列磯前神社がこの地域の中心だったとおもいます。
大洗磯前神社にはその類の伝承がないようですので。

防人の供給地というのも当方も認識しています。
屈服した民族は支配者に朝貢を要求され防人は朝貢の1つと考えます。
大規模な古代の神社は人力や産物を集約献上する朝廷の出先機関の役目を果たしたのでしょう。

歴史板なら伝説を当方も取り上げませんが、
民間伝承を全否定すると神社の存在すら否定する場合もあるでしょう。
義家の弟の流れを汲む佐竹氏が存在したのですから
此の地に義家が痕跡を残していてもなんの不思議ではないと思うのですが
いかがでしょうか?

470:いちっ
10/02/04 12:28:58
皆さんに聞いても良いですか?

子供のカンむし、夜泣き、わがまま、人嫌い、貧尿、夜尿という感じで8年間苦しんでます。
病院にも行き旦那とも怒らない様に頑張りましたが、
毎日が大変な思いで暮らしています。今では旦那が家族から逃げてしまい、
私は一人で四人の子供を育てています。
私は家事も出来ずトイレにも行けずにいます。昔、カンの虫きりてらが茨城県に有ると聞きましたが場所も名前も分かりません。
お祓いをしていると、子供の指先から白い糸の様な物が出てくるそうです。
だれかお寺を知っている方が居たら教えてください。
お願いします。

471:名無しさん@京都板じゃないよ
10/02/04 17:14:25
>>470
知らないな~
暫くこの茨城スレで回答が無ければ、
マルチポストでもいいから、他スレ質問スレ等で聞いてみるといいかもよ


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