07/05/24 02:15:40
確かにあの世とこの世の分限だけでモノを考えている人には分かりづらいと思うよ。
とはいえ、浄土真宗というのは基本的に「今、私がこの世ですべきこと」しか言っていないんだけどね。
そもそも、あの世のことはあの世に行かなければ分からないのだし。
それが嫌ならサッサと自分であの世に行くしかない。
でも、それじゃ単なる自殺教。
そういう意味では、分からないことをあれこれ考える前に、今、自分ができること(往生の正因を得る)
ことしか人間にはできないし、それが人間の限界という考え方なんだろうよ。
人間の限界を指し示している存在が如来それ自身。
そもそも「死後の世界」という言い回し自体、生きている側の受け取り。
「あの世」というのも「この世」で生きている側の受け取り。
「あの世」に行った人にとっては、自分のいるところが「この世」なのだし。
「死後の世界」に行ったというのであれば、その当事者はその「死後の世界」に生まれて、進むべき道を
進んでいるのだろう。
阿弥陀如来の浄土に還ったのであれば、間違いなく成仏道を歩んでいるのだろう。
それはもはやこちらからはどうにもできないこと。
だったら今、自分ができることをするしかないだろうに。
それ以上、何をせいと言うんだ?