07/05/05 23:07:40
>そこには、善根(ぜんこん)を積むことはおろか、生きのびるためにはたとえ悪事とされていることでも、
>あえて行わなければならない悲しさをかかえた人々の生活がありました。
山田君、これを根拠に自分の悪事を肯定しているの?
善根を積む気もないし、悪事をはたらいても反省すらしないのが君じゃないか。
どこに「悲しみ」を抱えているの?
>その越後の人々のなかにあって、聖人は妻恵信尼(えしんに)との間に幾人かの子をもうけられました。
>文字どおり、肉食妻帯(にくじきさいたい)の一生活者となって生きていかれたのです。
>そして、その生活のなかで聖人は「ただ念仏して、弥陀(みだ)にたすけられまいらすべし」『歎異抄』
>聖典627頁 という、師法然上人の一言(いちごん)が、いよいよ確かなものとなって心にひびきわたる
>のを感じていかれたのです。
肉を食べて妻を娶って一生活者になっただけじゃないの?君の場合。
どこに念仏があるのかな?
阿弥陀如来よりも麻原信仰だものね、君の場合。