08/03/25 00:30:55
>>587ですが、もう一言だけ付言させて下さい。
調伏ということに関して、成田の御不動様は寧ろ失敗をなさったのではないでしょうか。
何故なら、本来なら将門一門に兵を納めさせて、どちらにも犠牲者を出さずに終われば大成功でした。
また、将門をして今日にまでも至るような、世にも稀な大怨霊に陥らせる結果にはならなかったでしょう。
国の民は国家第一の宝であるはずです。其時は叛乱側ではあっても元々は坂東に住み、貢納するこの国の民です。
そうした心を以って、為政者は国を治め、仏僧は上下万民の平安を祈り、民は堅実に暮らしつつ和を願うべき。
ですから、成田の御不動様は天慶の乱の仏法による鎮めに失敗した責任を、御自らがおとりになられて
もとの都の神護寺に還御もなされず、引き続き坂東の地に留まられて居られるのでは・・・
もしかしたら今では将門にとって、御不動様が一番の理解者であり、その大慈悲が慰めになっているのかも知れません。
調伏など、しても・されても、よいことではあり得ません。こうした述語で遊ばないこと。それが賢明なのではありませんか。
そして再び、御霊の怒りの起こらぬ事を願うばかりです。