09/07/05 11:14:26
古層と考えられる経典ではブッダは弟子を指導するのに瞑想しろという論理で導いてませんよね
縁起をよく見てよく把握しろという法の知覚を悟りの道と説いています。
瞑想が悟りなのであれば、瞑想をよくしろと指導するはずですし、
初期経典に現れる瞑想してないのに正しく縁起を理解して悟るような人々は存在しない。
そういう人々が描かれるということは、初期仏教では今のように瞑想修行が悟りという宗教ではなかったはずなのです。
そういう行者的なスタイルはやはりその後のヨーガ行者の影響というべきでしょう。