08/06/25 18:49:02
ぷーたろう状態なら、銀行強盗しても、元うんすいとか表示されないから、
大丈夫。
もう、ほっておけ。
333:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/26 06:33:30
愛津なら、僧堂の暴露本とか書いて、売り出しそう。
親子の子等慕で。愛の共同作業。
334:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/26 06:46:14
親父からも、逃げ続けていた。
335:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/26 07:21:51
親子の学歴が圧倒的に違うと、つらいんだよ。
察してやれ。
336:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/26 08:46:28
それも有るし、親の期待が大きすぎたのか、つぶれてしまったね。
どこでどうまちがったんだろや。
何かがトラウマになってたんだろ。
337:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/26 08:47:08
192 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2008/06/26(木) 06:37:08
労使に暴言を吐き、あばれて逃亡。
親父からも逃げ逃げの人生だった。
338:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/26 08:50:01
かわいそうな奴なんだから、察してやれよ。
労使、雄矢とか本来一番信じなければ成らない人を、信用できない枯野心のうちを。
339:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/26 08:53:37
臨済宗から、暴力的な言動は排除すべし。
去る者追わず!
僧侶以外の第二の人生で幸せになってほしいね。
340:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/26 11:39:50
心優が例の事で去ったのも・・・・・・・・・
341:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/26 11:46:20
雲水崩れが、労資に暴言を吐き、暴れても大本山的には、罰則規定ないのか?
342:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/27 08:41:46
雲水崩れが、大恩ある労資に暴言を吐き、暴れて逃亡しても大本山的には、罰則規定ないのか?
343:名無しさん@京都板じゃないよ
08/06/27 08:50:03
老師に暴言を吐ける境涯の雲水ってカッコイイ!って絶対自分で思ってる。
そして自分を慰める。
344:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/03 16:31:54
暴力団と医師による裁判つぶし
「原発ブラブラ病」だと自ら語った村居国雄さんのケースでは原発社会のドス黒さが垣間見える。
彼は「敦賀原発定検中に約1時間、雑巾で放射能をふき取る作業をしただけで5ミリシーベルトを浴びた」という。
以後、倦怠感から、脱毛、歯がボロボロに欠け落ち働けなくなった。
「岩佐訴訟」と共闘しようと動き出すや、生活苦にあえいでいた奥さんを抱き込み600万円で裁判をつぶされた。
その裁判つぶしに一役買ったのが、阪大病院放射線科の重松教授であり、医師にあるまじきことに、わずか100万円の謝礼で魂を売り「異常なし」診断書を作成した。
後に思い悩み、自殺をしている。
村居さんの訴えは原発下請け会社のビル代行(現・(株)アトックス)と敦賀原発の悪行を社会の表面に引き出した。
前述した北九州市の親方の場合は裁判を起そうとするや暴力団のいやがらせ電話と九大病院放射線科の医師による「異常なし」診断書によってわずか106万円で裁判がつぶされている。
これらわずか数例でも暗く醜い原発社会の裏側が浮き彫りとなる。
最後に生きているうちに労災認定を勝ち取った大阪の長尾光明さんを紹介しよう。
現場監督として浜岡、ふげん、東電福島第一原発の定検工事にたずさわった。彼の「放射線管理手帳」に記載された総被曝量は70ミリシーベルト。
98年に兵庫医大病院で「多発性骨髄腫」と診断され、現在、東京電力を相手に被曝の因果関係を問う裁判を行っている。
345:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/04 16:24:49
特定非営利活動法人一滴の里
団体名称 特定非営利活動法人一滴の里
所轄庁 福井県
法人認証年月日 2002年02月13日
都道府県 福井県
主たる事務所 大飯郡おおい町岡田33字小近谷2の1
従たる事務所
代表者名 森口精治
目的 この法人は、一滴文庫を拠点とし、地域住民と他の不特定多数の市民および団体に対し、行政及び他の文化施設との連携を深めながら、地域の文化・芸術の教育普及、調査研究、さらに情報化、交流促進、文庫支援事業を行い、よりよい風土の形成に寄与することを目的とする。
346:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/18 15:08:18
私は以前、僧堂というところにいた。
そこでは、相撲部屋と同じような暴行事件が起きていた。
仏につかえる身でありながら、殴る蹴るは日常茶飯事。
血を吐くもの、警策(坐禅で用いる棒)や木刀、あるいは鉄パイプで殴る。
私も傷跡を残している。
入門から五分の一に減る僧侶。
残る者は、凶悪犯のような顔となっている。
逃げ出す者は当然のこと居り、暴力によって身体障害者となった仲間も居た。
家族からの警察騒ぎになることもあったが、暫くすると何事も無かったかのようにことが収まっている。
長年の関係から、警察とも結託しているのだ。
これは修業世代の人間だけが起こすことではない。
いわゆる、位の高いとされる世代に渡って、堂内差別、脅迫、金銭の窃盗や資金の使い込みもが起きている。
僧侶の世界は、畜生、奴隷、人間、仏様の段階がある、という。
また、宗として決めている僧侶の“格”というものも、3等、2等、1等、権大…
というように、上下の差をつくっている。
身分の低い僧侶は、高い僧侶に対して顔を見ることも許されない。
仏門の世界に対して、一般世界を“シャバ”と呼ぶ。
その団体生活は、まるで極道の世界。
弱肉強食、全体責任、抑圧された世界だけに、弱いところにしわ寄せが行き、強い者は何ら痛むことはない。
僧堂歴の無い僧侶が中には居るのだが、その人のほうがより人間らしい。
また、僧堂のある場所によってもその閉鎖性は違う。
山間部にある僧堂は、市街地にある僧堂とは違い、相手を認めることができない。
井戸の中の蛙状態となるのである。
私は資格取得までの期間、その宗派で2番目の位とされる人の内弟子であった。
国内僧侶のVIPといわれる人たちに接したり、あらゆる宗派の人たちとも会った。
また、帰属してからも、様々な宗教とその人たちと接して、実状を垣間見た。
やはりその中で最も閉鎖的だったのは、仏教の禅宗系であると感じた。
私は一般社会の人たちのほうがよほど自然な信仰をしていると感じており、以来僧侶が信用できないでいるのである。
347:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/22 15:00:27
諸宗教対話・協力
「仏教では、この世のすべての存在は網の目のようにつながり合っていて、それぞれがかけがえのないいのちの役割を担っていると見ます。
こうした仏教の見方に立てば、他の宗教を排斥するどころか、異なる宗教もそれぞれに人類の平和と幸福を願っているのですから、その共通の目標に向かって協力し合えるのです。
現在、宗教協力は世界的な潮流となっていますが、それは宗教の本来あるべき姿に帰り始めたあかしでもあると思います。
各宗教が本当に協力し合う時代が到来したと言えるでしょう。
私もまた、開祖さまの念願とされてきた宗教協力と世界平和への道を継承してまいりたいと願うものであります」。
庭野日鑛会長は、このように、庭野日敬開祖が半生をかけてその推進に尽力した宗教協力の今日的な重要性を述べています。
「世界の人々と手をつなぎあい、平和な世界をつくる(平和世界の建設)」という願いから、立正佼成会は、宗教協力を基盤とした平和活動を使命と考えています。
そのため、宗教間の壁を超えた交流を積極的に行っています。
その中心となるのがWCRP(世界宗教者平和会議)です。
1970年、京都で開かれた第1回WCRPでは主要宗教の指導者約300人が一堂に会し、歴史的な出会いを果たしました。
以来、WCRPは4年から5年に一度開かれ、諸宗教間の対話と協力を推進する世界最大規模の国際的宗教組織に発展しました。
また、ACRP(アジア宗教者平和会議)の設立、IARF(国際自由宗教連盟)への参加、「アッシジ平和祈願の集い」の精神を受け継いだ「比叡山宗教サミット」への協力など、立正佼成会は国際的な宗教協力の輪を精力的に広げてきました。
一方、国内においても、日宗連(日本宗教連盟)、新宗連(新日本宗教団体連合会)と連携し、アジア地域を中心とした植林や農業開発、国内の環境問題への取り組みなど草の根の運動を活発に行ってきています。
毎年10月に行われる「世界平和祈りの週間」には、立正佼成会の会員たちも参加し、世界の諸宗教者と時を同じくして世界平和を祈念しています。
世界の諸問題を自分自身の問題として受けとめ、問題解決に尽力していくことが、私たちにとってはもっとも大切なことなのです。
348:名無しさん@京都板じゃないよ
08/07/30 16:06:17
疑うことのデメリットもあります。
まず、疑うことでイヤな気もちになります。
人を疑う自分に嫌悪感をもってしまう人もいるでしょう。
疑うことで関係が良くなるということはないのでないでしょうか。
強い疑念は自分の言動に何かしら現れ、つきあいに消極的になったり、対応がぎくしゃくしたりすることもあるでしょう。
そういうものが相手にも伝わり、関係が悪くなる可能性のほうが高いでしょう。
露骨な表現をしてしまえば、相手も疑われていることを感じてしまいます。
疑われた相手がどういう気もちになるかは、自分が疑われた場合を考えてみればわかると思います。
人を疑っている自分に気づいた時には、「これ以上疑っていいことある?」と自問してみるといいと思います。
「これ以上疑ってもいいことない」と考えることができれば、疑うことをストップできるでしょう。
自分が相手を疑うことで、その人との関係が悪くなってしまうのは、自分が望むことではないでしょう。
人を疑ってしまった時には、疑うことのデメリットを考えてみてはどうでしょうか。
349:名無しさん@京都板じゃないよ
08/08/02 09:36:09
URLリンク(www.zuiryo.com)
350:名無しさん@京都板じゃないよ
08/08/23 19:04:58
Best of Kyoto: The Next Life
URLリンク(jp.youtube.com)
351:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/08 08:32:24
坊主は袈裟着た俗人と言われてきたが異常な暴力沙汰が事実だとすれば袈裟着たヤクザだな
352:名無しさん@京都板じゃないよ
09/01/24 09:56:57
臨済age