06/08/31 18:05:02
さらに参考となるものをもう一つ。
924 名前: 北海大将智 03/11/08 04:17
それから、霊についてなんですが、インドでは日本的な意味の霊にあたる
語を仏教で用いられた形跡はなく中国で道教の影響で霊の字が仏教に持ち込まれ
たようです。道教も祖先の霊を崇拝する宗教ですし、日本でも神道しかりです。
よく本堂に「三界万霊」と書かれた位牌が飾られていますが
三界。欲界(六道からなる欲と肉体からなる世界)、色界(欲を滅した肉体のみの
世界、小乗仏教の悟り)無色界(欲も色も無い悟りのみの世界。仏界)において
922においてあきらかにしたように霊が未だ悟りに至らない識を日本人の感覚に
あてはまるように霊の語をあてたとすれば、欲界の霊は未だ智慧に変わらない
識であり、無識界の霊は瑜伽行により清浄にされたアーラヤ識であり、無色界の霊は
智慧であることがわかります。つまり日本人にわかりやすく「霊」の字をあてただけで
「霊」の存在とか「霊界」だとかを認めているわけではないんです。
さて、弘法大師の随筆をあつめたものに精霊集とあったり霊異という言葉が仏教の中にも
見られるがと云う方には、これは霊を「幽霊」とかの意味ではなく神異の意味で使う
ことがあるからなんです。仏伝でも釈尊が神々の説法する話が出て来たりしますし。
日本の御祖師方のほとんどが日本の神様から信託をいただいているこういう場合の
霊は神や鬼神を意味します。ここに餓鬼も含まれます。またこれらの神々も上記の欲界の
住人であるため霊=識の構図があてはまります。
ただし神仏混合がすすんだ鎌倉期におこった日連宗は悪霊加持などを行なうようですが
鎌倉期にはかなり仏教が民間に希釈され日本的な展開の一例ではありますが。
それと修験道でもたしか霊を認めていましたね。途中で真言宗と交差する時代がありますが、
その期限は奈良時代の得の行者小角であり、弘法大師の求法以前に、山岳信仰を主とする神道
に雑密の呪術性が混合された宗教でありもともとは純粋な意味での仏教ではありませんしね。