臨済宗国泰寺派についてat KYOTO臨済宗国泰寺派について - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト491:名無しさん@京都板じゃないよ 08/06/16 12:44:39 貞和元年(1345年)6月3日、慈雲は『天に月あり、地に泉あり』の末後の句を残して、72才で示寂。 光明天皇より「慧日聖光国師』の論号を受けた。 その後、守護代神保氏の崇信を得ていたが、応仁(1470頃)から天文(1550頃)年間にかけての戦乱、特に上杉勢の越中侵攻によって当寺は荒廃した。 しかし、雪庭和尚は後奈良天皇の綸旨を受けて再興し、天正年間(1580頃)には二上山より現在地に移っていたようである。 492:名無しさん@京都板じゃないよ 08/06/16 12:45:04 江戸時代に入り貞亨3年(1686)には現在の大方丈が建立され、将軍綱吉は当寺をもって法燈派総本山とし、亨保年間(1720頃)には高壑和尚等によって伽藍の大整備が行なわれ、(現在の法堂は当時のもの)ほゞ現在の形になった。 明治維新になると排仏毀釈の余波を受けたが、越受・雪門両和尚は山岡鉄舟の尽力を得て、天皇殿の再建をはじめ諸堂宇の修造に努めた。 また、日本を代表する思想家西田幾多郎や鈴木大拙が、若き日に、雪門に参じたことはあまり知られていない事実である。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch