06/05/07 15:44:46
週刊現代で始まった細木数子の過去を暴く連載の第一回を読んだ。
年表の48歳のところに安岡正篤の墓を建てたことが書かれてあって、
「墓(宝篋印塔)」とあった。
細木数子は墓相についてもやかましいらしいが、
安岡正篤の墓を宝篋印塔にしたということは
細木数子にとって一番の墓の形が宝篋印塔ということなんだろう。
安岡正篤は細木数子によって晩節を汚した。
二人の「婚姻」の実態は、安岡正篤がすでに状況の認識や判断ができなくなっていた時に、
細木数子が独断ですすめたことはほぼ間違いはないだろう。
しかし安岡正篤が、
細木数子の自宅や細木数子の経営する赤坂のクラブに通いつめるようになり、
二人の間が急接近したことは明らかな事実であり、
これは安岡正篤という人物の限界であったと見ていい。
成田山新勝寺も占い師と親密だったり
仏教の寺院なのに陰陽道の迷信を看板にしたりしている現状を早いうちに改善したほうがいい。
ついこのあいだまで細木数子を持ち上げていたメディアも
手のひらをかえすように細木数子の断罪にまわる。
成田山新勝寺も「明日はわが身」と思っておいたほうがよさそうだ。