06/05/02 16:17:13
今でこそ成田山の独壇場ですが成田山と宗吾霊堂はいいライバルだった時代がありました。
とくに明治維新の前後、幕威が衰えた時期には庶民の味方として権力によって刑死した宗吾は人気が高まっていき
維新後は福沢諭吉が著書で宗吾を民権運動の先駆者のように礼賛したので
いよいよ信仰が流行し遠方からも参詣者がつめかけ地方に宗吾の分霊が勧請されました。
しかし、自由民権よりも富国強兵の風潮が強くなっていきどんどん軍国主義が浸透していくと成田山が巻き返し宗吾との人気が逆転しました。
戦後は成田山がいち早く武運長久の看板を降ろし交通安全に転身したのが功を奏して敗戦の痛手を克服しましたが
宗吾霊堂や芝山仁王尊は時代の変化に対応することが出来ずに衰退し鉄道の恩恵を受けていなかった芝山仁王尊の門前町は壊滅しました。
宗吾霊堂も門前町の古くからの店がどんどん閉店していて風情がなくなりつつあります。