06/04/13 19:03:46
千葉本家成田山の大本堂のお護摩の時、
諸真言になっていよいよ慈救呪という番になると
僧がひとり出てきて慈救呪の説明と唱和の勧めを行いますね。
でもあそこで勤行の流れがぷっつり途切れてしまって気が抜けます。
そこまで長い時間かけて様々なお経も唱えてテンションがいい具合に高まったところで、あれはちょっとやめてほしい。
その点深川は流れを途切れさせることなく慈救呪に入るのがいいですね。
あのお堂の狭さもいいんですよ。
新本堂の計画は、団参でもできるだけ多くの人が入れるお堂にしたいというのが理由の一つにあるようですが、
会社のグループでのお参りなどを見ていると
上から言われたからついてきたみたいな人は堂内で携帯いじったり写真とったりマナーが悪いし、あまりそんなのが増えても困る。
千葉の大本山みたいに立派にしたいなんて張り切って深川の狭いなりのよさが失われて、
「結局同じならたまに千葉成田に行けばいいや・深川はいいや」なんてことにもなるんじゃないでしょうか?