06/04/11 21:50:27
>>404
成田山は次から次へと建築・建設の企業に美味しい仕事を与えるけど、
仏像に関してはいい加減さに思い知らされることが多い。
仁王門の裸足の邪鬼なし廣目天も、
足だけが妙に写実的で、仏師ではない、現代彫刻家の作品のようだ。
仁王門の二天の一体ということで「仁王尊の足」「仁王尊の岩座」で造ればいいだろうと思い込んで張り切ったんだよ。
成田山のほうでも、仁王門の裏の目立たない仏像ぐらいの扱いで、そのまんま安置したということだろな。
“裏”といえば、
大本堂の裏正面の仏間に「虚空蔵菩薩」として安置されている一体は、
あれはどう見ても“天女”の像。
持物の宝剣と宝珠が当初からの物とするなら弁才天の可能性がある。
宝剣が後補で宝珠のみが当初からの持物であるなら吉祥天だろう。
いずれにせよ「虚空蔵菩薩」として天女像が造立されたということはありえない。
深川不動堂の四国八十八箇所でも阿弥陀如来像が本尊であるはずの寺の像に地蔵菩薩像を置くような失態があったようだが、
不動尊の他の諸仏諸菩薩についてはまるでど素人かとあきれることもしばしば。
仏に対して身口意を凝らして相応を成就しようとのモチベーションが希薄と言われても仕方がなさそうだ。