08/12/10 10:26:38
雑感。
以前、テレビで原爆を投下した元米兵の話を見ました。
彼は、原爆投下に誇りをもっていますし、今でも、軍のお祭りなど
に引っ張りだこで、サインを求められる程の英雄であるという事でした。
その元兵隊さんは実に「幸せ」そうでありました。命令に従い、多くの
日本人を殺戮した原爆投下を「正当」であると認識し誇りとしていました。
原爆投下のことのみに関して言えば、彼に「苦の因」などあるわけないのです。
お分かりですね。彼において、苦という「果=私」は存在しないからです。
元兵隊さんの「自己正当化」のプロセス(推測としては、愛国思想、
キリスト教など考えられる)には興味が湧きますが、また、それを如実には
知り得ないことも承知の上で、私はこのように考えたのでした。
「彼には悪業は存在しないのだな」と。「業は改変可能である」と。