03/10/02 12:28
>>73
問題がある、というのであれば直接、坊主にその問題を問うべき。
膝を突き合わせて問うてみればいい。
そのうえで仏教など信ずるに値しない、というのであれば、貴殿には選択の自由というものがある。
まずそこから確認しておく必要がある。
>>64
>坊さんより、人の悲しみが分かってると思うもん
人を悲しむ前に「自分を悲しむこと」が先だよ。でなければ、永久に人の悲しみには出会えない。
「私一点におきての生」「私一点におきての死」に対する問いから本当の意味で生死との出会いが
始まる。それがなければ単なる同情論に過ぎない。私を差し置きての同情論に過ぎない。
身を生きることの無常さを知るところから発して、初めて自身の「生」というものに出会う。1つの死を
通して「私の生の儚さ」と出会うところに初めて、私をして「空しく過ぎ行く生への悲しみ」に真向かう
生き方が始まると思う。
悲しみは論じるものではない、私を問われて初めて「感じる」ものだ。私の悲しみを通して、ようやく
に人の悲しみに出会うのだ。俺はそう思う。
「違う!」というならば反論してもらってかまわん。