09/07/20 02:50:57
>>730
うん、そうですね。
昔から方違えや亀卜があって、それを信じる人が多かったからこそ、大乗仏教が生まれたと私は主張してるんですよ。
現在でも血液型占い(マイナスイオンと同レベル)を信じてる人が大半です。
そして、釈尊は、占いを否定してます。
ゆえに、釈尊の哲学仏教と、マイナスイオンを信じる精神構造は、真っ向から対立すると思うんです。
「理系の矜恃」は、当然持ってます。貴方が自分の考えに矜持を持ってる程度にはですが。
自分がプライドを持てない様な意見を、皆様に問いかけるわけ無いじゃないですか。
そして、「理系」の対立軸は「文系」ではないと思ってます。
文系でも学問である以上、ロジカルな思考をしてるはずです。
文系が、感情で判断してるとすれば、それは学問じゃないですね。
だから、私が言いたいのは、「理系=文系=論理思考」v.s.「感情論や占いなどの非論理的な思考」なんですよ。
ゆえに私も、「人間感情の営みとしての『信仰の場』では理系も文系も関係ないとおもいますよ。
なぜなら、信仰は論理(=理系や文系のような学問)じゃなくて、無批判に信じるからこそ信仰なんですから。
法華経を紐解けば、「末法の者には、知恵で悟ることはできず、ただ無批判に信仰しろ」と書いてあります。
ただ私は、苦の根本原因が元本の無明であることを理解し、それを滅するのは、「無批判の信仰」ではなく、
「知恵」、すなわち「ロジカルな思考」だと思ってるだけです。
例えば、『「南無すぐ喋れる英会話!」って唱えれば、英語がすぐ喋れるようになります。この本に書かれていることは本当です』と書いてある本を、貴方は買いますか?
確かにそれを信じれれば、何となく英語が喋れるようになった気になるとは思いますが、それで本当に幸せですか?