08/10/22 21:12:36
前項で覗えるように空海師は経を包括的に取り込み、その解釈により個々の句が表すものが異なってくると]
云っているようで、人それぞれの身丈に合った解釈もありうると述べているように思われる。
超簡単に表現すると、例えば赤ちゃんの足と大人の足では使い方が異なる。
赤ちゃんは、這い這いする為に脛を床につけて這ってあるく。
大人は足の裏を床につけ赤ちゃんの何倍もの歩幅で歩く。
その時、手を考えた時、赤ちゃんの手は上体を支えるために使用し、大人の手は歩行時の重心のバランスを
とるために使われる。
目線もしかりで、異なる視界を認識している訳である。
その事は空海師の行動にも出ているようだ。
空海師が自分の大日経研究の正しさを確かめることのみの為に渡唐したのかもしれないのに、
虚空蔵菩薩求聞持法を修法していたが故に仏に惹かれ導かれ密教に遭遇し移行したのは偶然とは言えず
必然であったと考える。
それは霊界からの指図と本心(仏心)が共鳴して、没頭して言ったとみることができる。
我々は往々に自分の考えで行動しているように思っているようだが、本心が霊界の情報を無意識で感じ取り、
記憶の底にある前世の生き様のレガシーが今の自分の行動に大きく作用している事を認識する必要が
あるように思う。
その結果、仏心即ち悟りへとの道が繋がってゆくのではないか。