09/05/17 04:02:24 DNfWcV2i
>>333>>335
結婚とは堪えて堪えてするべきものだろうか。
収入次第で諦めるというのは、理性的な判断により、
子孫を残す為のレースから潔く身を退いてしまうという事だ。
収入が判断の指標となるのは、経済力が可能性を限定してしまう(という考えが大勢を占める)社会ならでは。
レースは周囲と比較して自らの順位を把握する。
嘗ては見渡す周囲が皆貧しい状況であったがために、
当然レースを放棄するような事はまずありえはしなかった。誰しもに希望があったからだ。
だが現在、自分が周回遅れであると気付いて尚、レースを継続しようと思うだろうか。
最早可能性が殆ど無いと思いながらに、安楽の道を捨て、堪えて堪えて続ける意義が見出せるだろうか。
惨めな将来を堪えて堪えてまで敢えて欲するだろうか。
自分のみならず後裔にもその惨めさを受け渡すと知りながら。
見栄の問題であるというのは間違いではない。これは社会的な動物であるが故にヒトには避けられぬ問題と言える。
気分の問題であるというのも間違いではない。ヒトの判断の根源は快・不快であり、価値観の大本を成す。
ヒトの心は単純だ。利益考量で判断する。例外は無い。
この現状はこの社会であればこそ、なるべくしてなった自然な流れであるに過ぎない。