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やや脇道に逸れることを御容赦頂き、いま少し男性の性欲について考察してみよう。
およそ生物とは、生存のために環境に適応し、可能ならば環境自体を改造しようとするものである。
そして、人間の男性はあらゆる生物の中で、環境を改造することにより生存機会を高める能力に最も秀でていると言えよう。
男性はその歴史を通じ、食物と居住空間を確保し、災害に備え、
自然の脅威の中で安全快適に暮らすために常に工夫し、そして数々の偉大な成果を上げてきた。
その男性にとって最も手強い存在であり続けた物が女である。
言うまでもなく、その手強さは男性の性欲に起因する。
優れた理性によって高度な文明を作り上げてきた男性と言えど、
生物としての本能である性欲は決して軽視できないものであった。
ここで、男性諸君は自らの性欲について改めて考えてみて欲しい。
男性にとって性欲とは何だろうか。
性欲を満たすことは、それ自体が目的なのであろうか。
否。目的ではない。何かのための手段ですらない。それは「排泄」である。
そして「排泄場所=便所」が女である。
なるほど排泄は重要である。
しかし排泄は目的ではない。
排泄が自由にできないことの不快感が男性にとって重大な問題なのである。
それ故、男性は長い歴史の中で、排泄欲求を満たすために、女をおだて、なだめ、食物を与え、衣服を与え、金を与え、
場合によっては名誉まで与え、女が自ら便器の蓋を開くよう多大な労力を費やしてきた。
しかし、多くの場合それは徒労に終わり、
しばしば大災害とも言える重大な事態を引き起こす要因にもなったことは、歴史の常識と言ってもよいであろう。
「女=便所」をいかにして征服するかという問題は、男性にとって恐らくその全ての歴史を通じて懸案であり続けてきたと思われる。
しかし、驚くべし。19世紀後半の写真術発明に始まる映像技術等の飛躍的進歩が、
100年そこそこの短期間にこの重大問題を一気に解決してしまったのである。
何故そのようなことが可能であったのか。