08/12/08 00:43:34 HnjMbHfH
国際学会に出ると、日本語の発表はもちろん、日本人の発表もほとんどない。
無理やり「アジア代表」で招待された日本人も、うつむいて原稿を読むだけ。
技術標準を決める会議でもそんな調子で、日本人は参加者は多いが発言しないので、
標準化の得意なヨーロッパ人が勝手に決めてしまうそうだ。
日本語が現地語になることは避けられないが、普遍語ができれば問題はない。
ところがほとんどの日本人は、普遍語としての英語もできない。
日本語でほとんどの用が足りるというのも、インターネットや科学の最先端ではもう当てはまらない。
日本語の本しか読まないビジネスマンは、世界から取り残されているのだが、彼らは取り残されたことさえ気づかない。
ところが英語教育を強化しようとすると、「英語より国語のほうが大事だ」などという国粋主義者が出てくる。
彼らは国語教育の現状を知っているのだろうか。
国語の時間に教わるのは小説の解釈ばかりで、自分の意見を発表する訓練はほとんどない。
英語の授業では、まともに発音もできない先生が小説を重箱モードで解釈し、
1年かかって100ページぐらいの薄い教科書を読む。
こんな教育をしていては、大量の英語の文書を読んで表現することは絶対にできない。
日本人で論理的思考、ディベートができる人材がほとんどいない。