08/12/10 22:19:37 8qNjDbC/
クスクスには、男性差別を批判するためには女性差別を容認し、
女性差別を批判するためには男性差別を容認しなければならないという思い込みがあるようだ。
「私は女叩きから」改心したと書いているが、
クスクスはこれまで、女叩きとして活動しているつもりだったのか。
そして、そろそろ女は叩き疲れたとして、今度は男叩きへ転向したのか。
男女平等を目指すには、男叩きでなければ女叩き、という思考は不要だ。
「自分は女も叩かない、男も叩かない」、それが最善の選択だろう。
なぜ、そのような姿勢が取れないのか。