08/11/30 07:25:26 W2eZkw0c
>>129
やはりこの板全体で問われていることは、「女性の育てる能力」であり、女性が育てる性であるという認識があるのなら、その要求は自然の摂理に適ったことであるのではないのですかね。
つまり、人間の場合「性は育てられるものである」それが摂理であると。それは現状が示している通りだと思います。
男性が女性と競い合うことは自然の摂理に反したものですし、自然の摂理と言うのならまずそこから始めないとね。
性の区分け、棲み分け、そのようなものがきちんと為されてないから、男性自身の性も成長しない・・・そのような問いかけもあるのではないのでしょうか。
そしてそれは、自然に回帰し摂理に沿おうとするものでしょう。
「摂理」ということを言うのなら、女性自身が「育てる性」にアンテナを合わせて成長しようとしていないこと(つまり摂理どおりに生きていないこと)も振り返られなければなりません。
男女平等教育では「性」は育たない、が男性全般の主張であると思います。
人間の摂理とは「性は育てられるもの」ということであり、その摂理を崩しているのは女性ということなのです。
それは理に適ったものです。メンリバ等は好感持てませんが。
男性の領域に入らないこと、入っても女性役割をすること、性を育てること、それが本来の「自然の摂理」なのではないのでしょうか。
人間の場合は女性の役割が重要なのです。
雄と雌が争いあうことを肯定するのなら、それ自体が、「性の棲み分け」「性には役割がある」という主張と矛盾するものだということに気づいて下さい。