09/03/22 09:47:21 gBy/aTJ3
>>339の続き
上述のような指摘を行うと出現するのが、動機を探ろうとする者(そして、魔術的な仕方で動機を発見し、嬉々として攻撃を加えてくる者)である。
しかしながら、ある考えや理論にとって、それらを提唱している者の動機こそが重要であるという考えは、「1+1」の答えが「2」であってほしいという動機によって「1+1=2」が成立するという考えを支持することになる。
彼の考えが正しいとするならば、先述した【補助1】という袋小路に迷い込み、抜け出せなくなるだろう。
したがって、動機によって正しいことが誤りになったり、誤りであることが正しいことになるなどということは決してない。(その者の動機が何であれ、正しいことは正しいし、誤りは誤りである。)
私には、実際に「1+1=2」というのが正しいかどうかは分からない。
しかし、もし「1+1=2」が正しいならば、「1+1=2」であることを論証する(しかも公理のような独断を排除して!)ことに成功した者が「1+1=3」という感覚を持っていたとしても
(そして「1+1=2」という感覚を持っている者がただの1人もいないとしても)、「1+1=2」は絶対確実に正しいと言える。
動機の囚人となっている者は、感覚や感情の段階と理性の段階を区別せず、俗流心理学を奉ずる、誤った論者である。