07/08/22 18:33:15 r+0xwQMa
凄い事になってますが…
先ず前提として理解して頂きたいのは、『平等』と言うにも二種類あると言う事。
ひとつは『比例的平等』、もうひとつは『普遍的平等』と言いまして。
この板で今言われているような、男女の持久走の距離を同じにする。と言うのは後者の方です。
元々、この持久走の差と言うのは、『男性と女性では生物的に身体能力差がある』と言う点を考慮して設けられた物です。
つまり、体力面において男性と女性の間には壁があるから、お互い男性の枠・女性の枠にわかれてその内部で競おう。という事です。
もちろん男性内、女性内においても個人差として体力の違いは存在しますが、それに対しては超えられない壁ではないと言う判断です。
こう言う例えは語弊があるかも知れませんが、男女の別離というのはオリンピック・パラリンピックのように健常者・障害者を分ける目的と同じ物です。
片足のない人間と両足のある人間が同じタイムだった場合、その運動能力が同じであるとは言えません。はさみと包丁を比べる事がないように、
比べる『元』が違う、スタートラインが違う。と言う事です。
これは、どちらをひいきする、と言うようなものではなく『元』の違いによって出来る『差』をは出来るだけ埋めて、個々の頑張りを評価する為の物です。
念の為に言っておきますと。
私は科学的な実証を元にした(持久走の)差は認めますが、実証のない過剰な差異を加える事まで認めている訳ではありません。
文才に乏しいため、大変読み難い文になってしまったとは思いますが。ご容赦下さい。
返レスには出来る限りお答えします。