07/09/02 17:42:06 xglSdlxK
>>171
最終的な能力で評価する意義について。
概ね、そのとおりでしょうな。ただ、いくつか指摘を。
>その人間がどう言う過程で能力を得たかよりも、実用的に有効となる能力がどれだけか。
>と言う事が重要であるから。
企業にとって最も重要なことは、その能力を活かして、どれだけ企業に貢献できるか・利益をもたらすか。
いくら高い能力を有していても、それが企業の利益に結びつかなければ意味はあるまい。
その好例が、人材育成に投資したものの寿退社をする女。
そして判別コストの問題。
例えば、大卒というのは純粋な意味での能力ではない。
時として、在学中に遊びまくっていた大卒より、経済的理由で進学を諦めた高卒の方が能力が高いこともあろう。
あくまで大卒の方が能力が高いだろうという期待のもと、高卒を除外してるだけである。判別コスト節約のために。
ところでアマゾン氏はこう言っている。
>『女性が持つ能力』として存在する『特徴』などを評価に入れる事は差別ではない。(>>144)
そして、それを回避するためには
>『妊娠・子育てに関しての一文』が必要
だと。
しかし、現在企業の採用において女から『妊娠・子育てに関しての一文』を求めることができようか。
そんなことをすれば、女性差別だと訴えられ企業イメージを大きく損なうことも考えられまいか。
アマゾン氏は>>132でこう述べている。
>もちろん、その証明に違反したら、企業が『上記の契約を違反しているので解雇する』と言う、新たなルールを作らなければいけない。
>本来はこう言う事をする事が『男女雇用機会均等法』や『女性の社会進出』(←これは嫌いですが)に求められる。
さて、こういうルールが作られればいいが、仮にそれができない場合(もしくは、できるまでの期間)はどうすべきだとお考えか?
『妊娠・子育てに関しての一文』を求めることが女性差別だと解釈され、それがタブー視された場合は?
女に「君は会社のために妊娠しないと約束できるか?」と問えぬ状況下では、女を採用の対象から外すこともやむを得ないのではあるまいか?