07/08/30 19:00:02 VRi2IvB5
>>163
>普通に、『小学生の大会に高校生が乱入した』って例えたら良かったですね…。
まぁ、これでも反論することはできるわけだが、やめておくか。
もうアマゾン氏の言わんとすることは十分理解できたし、それを理解させるための例えである。
例えに必要以上に食いついたところで、さほど有意義な議論ができるわけでもあるまい。
せっかくなので、↓これに関する根拠についても触れておこう。
>雇用に関する話の場合と持久走の場合とで判断が変わるのは当たり前です。
>103 で先ず。持久走では結果そのものを(男女差を理由に)判断しないのに対し、
>雇用の場面においては就職・雇用では(男女差を理由にする事を否定し)結果で評価する。
>と言うのは矛盾があると言う風に述べておられる。
アマゾン氏の視点で考えれば、そういうことになる。
ただ俺としては、結果云々より「女を男性より劣る存在として見ること」に問題があるのかってことだね。
持久走でそれが許されて、雇用ではそれが許されない理由。
俺の解釈が間違っていなければ、アマゾン氏は“最終的に総合すると『±0』になる”からだと答えた。
しかし、そうではないケースが生じてくることは先で述べたとおり。
さて、ここで雇用と持久走で判断を変える根拠は
>それに、雇用で評価されるのは成長した数ではなく、最終的な能力です。
であろう。
俺としては、学校の成績(体育を除く)はやはり結果で評価されるものだと思ってる。
まぁ、この部分に関してはとりあえず置いておこう。
問題は雇用での評価。確かに評価されるのは、最終的な能力であろう。
しかし、最終的な能力で評価「しなければならない」理由は?
これに関してはメン同盟氏がいいことを言ってるので、それを踏まえたうえでお答え頂きたい。