07/07/12 21:12:39 EsjQIMBY
専業主婦とか主夫とかっていうこだわりなんて最近出てきた造語なのでは
ないでしょうか?どうしてそんなに家族内の存在が専門分野として解釈されて
きたのでしょう。
私が小さい時分は皆、お母さんもパートに出て、お父さんも働いていて家事も
助け合っていた。子供である私も家事を手伝っていた。それで近所のおばちゃんが
遊びに行った所々でおやつをくれたり。。。そんな事が当たり前に行われていて
誰も「専業主婦」だからとか「主夫」だからとかいう言葉を盾にして逃げ場なんか
作る人は殆どいなかったよ。
アートとかっていう解釈にしてもそんなに言葉でああじゃないそうじゃないって
縛る必要があるの?「アート」とか「美」って個人の価値感でしか判断する基準
がないと思うんだけど。。洋画と日本画にしてもその描かれた時代背景を考えれば
一括りにアートと言っても全く質が違ってくる訳でしょう。好き嫌いじゃないかな。
「前衛過ぎる」「陳腐すぎる」のもそれをアートだと解釈する人もいる訳だし。
今のご時世は言葉を自分のものとして解釈し、自分に合う判断をして使っている人が
凄く少ないと思う。活字やメディアが氾濫しすぎて自分の発信する言葉が正しいか
正しくないか解らないから迷っている。それが自分が見たことも聞いたこともない所
から発信されているにも拘わらず、情報だけがすべてのような錯覚に陥っている人が
多すぎるから、自分の生活の中自分に合わない捉え方をし、挙げ句の果てに誤った
使い方をしているのではないかと思うんだけど。
映画監督のゴダールはよく「その作品を語ってはいけない」と語っていたがw、それっ
て一番正しいと思うんだよね。人のイマジネーションを作るのは言葉だけではないって。
生活にスタイルはあってもスタンダードは無いと思うんだ。自分のスタイルに合う生活っ
て言葉に頼らなくても勝手に作って行けるものでしょう?それが今一番大事なものじゃ
ないのかな?言葉に頼りすぎて、尚かつ言葉に踊らされ過ぎているんだと思うよ。