07/05/05 07:33:25 X4w3zdBN
大事なのは、最近のジェンダーフリーなどの、出発点が間違った論理を掲げて、
こういう社会じゃなければ遅れている!なんて言うアタマの遅れた人たちの
考えから脱して、「日本男児」と「大和撫子」という、男女の理想の型を
つくり、子供に教えることです。その理想の型というものこそ所謂作法であって、
また作法は必ず伝統に基づいたものであるべきである。そしてその「伝統」こそ、
アメリカにあって日本にない武器なのだ。アメリカのように、伝統がなく、
民族もバラバラな国のやり方に、はっきり言えば程度の低いやり方に、
長い歴史を持つ日本があわせる必要などないのだ。
もちろん、それらの作法は必ずしも絶対的なものではない。いうならば生き方の「本流」(サザエさん)
みたいなもので、例えば女性は家に入って家事をするという「本流」がしっかりあった
上で、芸能人や一部の職業などの例外である「支流」も認めるべきという考え方です。
今は本流というのを無くしてしまって、支流の中で生きるざるを得ないが故に、
皆どこか心に不安定な部分があるように思うのは僕だけだろうか。個性の時代
なんていうが、ぶっちゃけ皆言うほど個性なんてないし、それを生かす主体性を持たない人の
方が多数なのである。いわゆる無難と言われる生き方だが、現に小学校で将来の夢を
聞いたら、必ずそういう生き方の見本みたいな物があるのである。なのに、
今まで日本が受け継いできた夫婦や男女のあり方を、「押し付け」なんて言って
否定してきたから、今付けが回ってきてるんじゃないか。本流があるからこそ、
支流が安心して存在できるみたいなとこが結構あるんじゃないかと思いますね。