07/04/26 07:04:21 Fzfdqco1
>>487
>ならば、当時の倫理観で乱捕りがレイプだったという根拠は?
へみへの言うように戦に勝った者の子を産むのを下級の者が良い遺伝子が貰えると歓迎しているならば
下記の様な事は起こらないはずだ。歓迎しているなら避難せず家で男が来るのを待ち受けてるはずだ。
戦国時代はもとより、鎌倉以降、中世期の戦でも「一般市民」のとばっちりは古記録の随所に残っております。
古今東西カンケーなく、戦(いくさ)に凌辱、暴行、略奪はつきものです。何せ戦争参加者は正常な精神状態に
皆、ありません。欲求のおもむくまま、好き勝手にするのが戦時下の人間(まあ、この場合、「男」に限定して
よいわけですが)で、わが国の戦(いくさ)で言えば、軍勢が通過したり、戦場近くにある村々は、往々にして
兵士に踏み込まれ、田畑は荒らされ、家屋が放火されたり、物資を強奪されたり、そこに女がいれば否応なく
強姦されたり、人身売買のため女・子供が拉致・誘拐されたりと、何せ人権意識もなければ近代的法律概念もない
時代です。被害を被る側としてはあっさり斬り殺してくれれば楽なものを、本能のおもむくまま、時にストレス発散
のため、時に性欲を満たすため、時に小金もうけのため、ルール無用の兵士の本能的欲求の前に彼ら、彼女らは、
到底なすすべはありませんでした。そのため社会的弱者層は戦の開始に神経症的なまでに敏感で、風のたよりに
戦が近い、軍が大挙やってくる、となると家を捨て、家族を連れ、村をあげて付近の山に身を隠したりと、
農民・町家の区別なく、常に無力な立場にある身分階層は、そうして自己防衛に
つとめてきたのが知られざる日本史の一側面でした。歴史上、たとえば織田信長のように、コミュニケーション・
ネットワークによる評判の失墜を強く意識し、かつて源 義仲が入京した際、町衆に「濫妨(乱暴)狼藉」を
働いたことがのちの敗走につながったことをよく理解していた武将は、麾下の兵が弱者に対し乱暴することを厳しく戒めました。