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多摩都市モノレール計画の成り立ち
>ところで,ここで多摩都市モノレール計画の成り立ちを整理してみよう.まず,昭和52年11月に立川基地が
>返還されることが決まったことから,昭和51年11月『第三次首都圏基本計画』とその実施計画である『首都
>圏整備計画』(昭和52年4月)では,立川基地跡地を中心に,東京大都市圏の「核都市」として,総合的
>に整備することが謳われた.この整備計画に基づいて,東京都は,昭和57年「多摩都心”たちかわ”建設事
>業基本計画」を策定して発表した.この中で,立川駅北口から立川基地跡地までの約170haを対象に,多摩都
>心”たちかわ”を建設し,あわせて都市モノレールを導入することが具体的に示された.また同年12月に発
>表された東京都長期計画の中でも多摩センター~立川~新青梅街道間約16kmの整備が盛り込まれた.そし
>て,東京都は,都,建設省,運輸省の担当者と学識経験者により,「多摩都市モノレール計画委員会」を
>設置して,ルート,駅,経営主体,機種の選定について検討を行った.その結果は,昭和59年11月と60年
>2月の2度にわたって都知事に対して報告された.先の報告の抜粋はこの2回目の報告内容である.また,
>全線16kmの計画ルートと第一期に着工すべき区間として立川駅を中心とする約5kmを選定した.この内容は,
>そのまま,東京都総合実施計画「マイタウン東京'85」(昭和59年10月)に盛り込まれることになる.
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