09/05/26 12:02:47 gYfJze0k0
かつての茨城には、水戸、土浦、日立に複数の百貨店を中心にした
地場の商業が発展してたから、大型SCなどの開発が遅れていた。
反面、取手などには地方には一切進出しない、都心や首都圏で
見られるとうきゅう、成城石井などが進出した。
それに、SC開発創世期では国内企業より外資企業が
茨城に1号店や旗艦店舗を構えようと土地をあさっていた。
都心に近くて、広大な土地を安く手に入れられたからね!
しかし、新しいもの嫌いの茨城県民は、無碍に反対したりして
結局、そういうところに出来たのは、国内企業の地味なSCだった。
そして、バブル崩壊とともに茨城にあった地元百貨店が
次々に閉店し、淘汰されていった。茨城の商業が崩壊した。
つづく・・・