08/10/06 22:07:35 y6/fCfeg0
>>393
URLリンク(ja.wikipedia.org)
江戸時代末期の九州人の安井息軒の読書余滴に「二百万石余」、同じく江戸時代末期の九州人の帆足万里の『東潜夫論』には「二百五十万石」との記述がある。
ただし、東潜夫論は、佐渡12万石(1.7万石)、隠岐6万石(0.5万石)と、太閤検地の10倍表示されており、注意を要する。
佐渡国の佐渡金山についても触れており、米の生産量以外の豊かさも含んだ指標として石高が使用されている。
江戸時代の経済力を示す指数として石高を用いられたと言うのを知らないんだね
無知って怖いねw