08/09/18 14:54:13 1IqQgFU80
多摩の県庁より抜粋
大日本帝国政府は、東京府の問題は都市化の問題であるから、郡部は除いて府から東京都として
三多摩と葛飾、豊島、荏原郡等は、武蔵県を作るように主張(1922)しました。
これに対して東京市は、東京市出身の代議士から、隣接5郡を東京市に編入する、三多摩の神奈川復帰案が
提出(1923)されました。
その後、既に隣接5郡には東京の人口が流れ込んでいましたから、政府もこれを考えて、
東京市に隣接5郡を編入して、三多摩のみで多摩県を作る案を提案(1924)しました。
武蔵県案では、八王子に県庁を置く案でしたが、多摩県案では、当時飛行場が出来て発展を始めた
立川に県庁を置く案でした。
しかし、三多摩全体の発展を望むためには、当時密接な関係のあった、東京市と一緒になることが
大事と考えていた多摩の人たちは賛成しませんでした。