06/07/29 10:21:15 JF91WWBJ0
…引用部分についてはだいたい正解、それ以外は脚色が入っているので 「 読み物程度 」 の解釈。
五市合併 合併の決め手「北九州市庁舎」
URLリンク(www.ncbank.co.jp)
出口 仮庁舎は戸畑の市役所をあけてもらいましたが、五市の行政やサービス機能をとても収容できず、
事務所があちこちのビルやプレハブにタコ足で連絡がたいへんでした。一年半の予定でしたが、財
政難その他から九年間も居続けました。吉田市長は調整と財源不足、そして組合の激しい清掃スト
など、新市誕生の痛みをもろに受けられて、新庁舎までは手が廻らない。それで、新庁舎の建設は、
第二代の谷伍平市長にまわってきたのです。そこで地盤調査をしてみると、公約だったマル印の一
帯は、地下に炭鉱の坑道がいくつも走っていて地盤極めて不安定。庁舎建築には不適切という結論
が出たのです。
四島 それは、またたいへんで。
出口 それで、条例で決まっていた市庁舎問題が、また振り出しにもどってしまった。それから、今の勝山公
園のところとなったのですが、公約違反ということで、一度は議会が紛糾して流会。臨時議会を招集し
てやっと決まったのです。谷市長は、「合併のいきさつは知らないで市長になった。だから、できたん
ですね」と述懐されています。条例で決まっていた予定地は、建築不可能の結論が出たのだから、次
善策を選ぶしかない。この地が適切ですとねばりにねばって、今の場所を主張された。最終的には皆
さん賛成で、合併前後約十年にわたった大問題が、やっと一件落着しました。そして、昭和四十七年
四月十日、小倉城内に本庁舎の開庁を迎えたのです。
四島 谷市長さんが、本領を発揮されて…。近代的な本庁完成が、五市合併の完成を象徴しているようです
ね。
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出口(元北九州市助役(旧小倉市役所出身)) / 四島(旧福岡シティ銀頭取)