07/12/15 15:47:37 cnN965GL0
「横浜の大嘘宣伝」の一例→ 横浜市の宣伝によると横浜港は明治からずっと日本一の港で関東大震災の前後だけ落ち込んだってことだけど、真実は横浜が日本一だったのは明治初期のごく短期間で、100年にわたって東洋最大の港は神戸だったって事。
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■関東大震災以前の状況■
当時の海運業は、神戸>>>大阪≧東京>小樽>>>>>∞>>>>横浜
横浜に海運業者は存在しなかった。横浜は今も昔も拠点じゃなくて東京の衛星都市(大笑
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URLリンク(www.heri.or.jp)
第一次世界大戦中の好況期に、内田信也、勝田銀次郎、山下亀三郎らの大船成金を神戸船主として輩出し、その地位をますます強固にした神戸海運市場の影響の下で、不定期船の有力オペレーターは、ほとんどすべて本社を神戸に構えていた。
大正14年のデータでは、神戸に本社をおく企業は約80社、大阪には45社、東京には35社、小樽・函館には33社というように、
全国の四カ所に散在していたが、この時期以降に限ってみても、神戸には、14の海運企業が設立されており、海運業務がいかに神戸を中心に営まれていたかが分かるであろう。
その中で、昭和15年の秋頃までは、神戸海運市場は、東洋一の海運市場として隆盛を極めた。東洋の海運市場の中心は最初は香港であったのが、
その後上海に移り、第1次大戦の勃発を契機に神戸に移ったものである。
海運市場としての神戸はロンドン・ニューヨーク・ハンブルクと相並ぶ世界四大市場の一つとして第2次大戦の末期頃まで広く認められた存在であった。
注)第一次世界大戦=1914-1919年、関東大震災=1923年