10/06/14 18:11:43
柄谷行人「 日本の文学はもう死んでいる。小説家自身が、それを証明してしまっている」
ここでは「近代文学は1980年代に終わった」という柄谷のいわば持論が個人的な事情も
からめて展開されている。
柄谷: 文学の地位が高くなることと、文学が道徳的課題を背負うこととは同じことだからです。
その課題から解放されて自由になったら、文学はただの娯楽になるのです。
それでもよければ、それでいいでしょう。どうぞ、そうしてください。
それに、そもそも私は、倫理的であること、政治的であることを、無理に文学に求めるべ
きでないと考えています。はっきりいって、文学より大事なことがあると私は思っています。
それと同時に、近代文学を作った小説という形式は、歴史的なものであって、すでに
その役割を果たし尽くしたと思っているのです。
いや、今も文学はある、という人がいます。しかし、そういうことをいうのが、孤立を覚悟して
やっている少数の作家ならいいんですよ。実際、私はそのような人たちを励ますためにいろ
いろ書いてきたし、今後もそうするかもしれません。
しかし、今、文学は健在であるというような人たちは、そういう人たちではない。その逆に、
その存在が文学の死の歴然たる証明でしかないような連中がそのようにいうのです。